自我はいいから、お金をください?!

お金は大事ですねぇ。。

というよりも
とっても便利なもの、というか。

こんな便利なもの、
みんなで融通できたら
一番いいように思うのですが、
そんな時代にはまだまだ早いですね。

自分のもの、
所有する、という感覚が
とっても強いのがお金なのかもしれません。

お金は「自分」のもの、だからです。

あ、ちょっと足りないの?
うち余ってるからわけてあげるよ〜
なんてことにはなりませんね。

もうちょっと頑張って稼ぎなさいよ、って話。

これが野菜だったら、
たくさん採れたから
作ってないなら持って行って〜
みたいな話にもなりそうじゃないですか。

ま、畑をしてる人には
別にあげませんけども。

お金もそんな感じだったら
楽なのにな〜〜
なんて思うのは僕だけでしょうか。

もしそうだったら僕が楽になる、
というよりも
世の中全体が楽になりそうな
気がしませんか。

目次

これは俺のもの

何かを「所有する」って
どういうことでしょうか。

これは「自分のもの」だと
主張しているわけです。

そういう主張をするためには
まず、自分という概念が必要です。

自分のことを「自分」だと
思っていなかったら、
自分のものだとは言えません。

だから自我のない赤ちゃんに
所有するという感覚はありません。

成長とともに
自我が芽生えてきた時、
これは自分のものだ、と
主張し始めます。

「自分の」おもちゃを取られた、
と泣くのです。

所有するには自我がいる

では自我ってなんでしょうか。

それは自分と他人は別物だってこと。

自分とそれ以外の間に
境界線が存在するってこと。

部屋の中に一人、僕がいたとして
僕の体の部分は僕で、
それ以外は部屋の空間です。

僕と空間、
その両者の間に
境界線が存在する、ってことです。

赤ちゃんには
これがありません。

大人になるにつれ、
自分とそれ以外の間に
境界線を作るようになります。

だけど、
物理的に境界線なんて
どこにもありません。

コップの水を一口飲んで、
減った分の水は
「水」なのか「むらも」なのか
ってことです。

境界線は
頭の中にしか存在していません。

現存していないのです。

要は思い込み、です。

完璧な三角形、的な話

昔、プラトンという人が
完璧な三角形は
この世に存在しないと
言ったそうですが、
ま〜なんとなく気持ちわかります。

ちょっとめんどくさそうな人
ではありますね。

あ、僕も似たようなものか、
ダハハハハ〜〜

ってなんの話でしたっけ、
お金の話でしたね。

なかなかお金の話と
繋がりませんが、、
もう少し書きます。

スペリチュアル的な感じで言えば
ワンネスって言うんでしょうか。

心理学で言えば
自他境界って言うんでしょうか。

仏教なら
色即是空、空即是色、、的な?

なんか違いそうですが。

上では部屋の中に僕がいたら、
という例にしましたが、
部屋を宇宙と読み替えてもいいのです。

宇宙の中に僕がいて
僕の中は「自分」で
それ以外の宇宙は「自分以外」である、ってこと。

自我とは
宇宙から切り離された自分、
という思い込みとも言えます。

人生ふりかけ

この思い込みが
良くも悪くも人生を作ります。

人生のもと、です。

パラパラとふりかけると
なんでも人生になります。

おいしいふりかけです。

僕らと宇宙の間には
どう考えたって境界線はないのです。

だけど、それがあると思い込むことによって
人生という物語は成立していて、
「僕」と「あなた」が生まれます。

物語には
そういう設定が必要なんです。

その設定に気づく人が
少しずつ現れていくと、
所有する、という概念も
今ほどガチガチに必要ではなくなっていく、
でしょう。たぶん。

なんか、聞くところによると
縄文時代の日本人には
所有の概念がなかった、って
言うじゃないですか〜〜

ま、そういうことです。

ってどういうこと?
ダハハハハ〜〜

僕はややこしい話は
大好きですから、また書きますよ。

実家にて、、

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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