一人一人が自分の才能を発揮しちゃったら
とんでもなく素晴らしい世の中に
なっちゃうんじゃないかと、
いつも夢想しているんです。
それは世界にとっても素晴らしいことですが、
一人にとってもこれ以上ない素晴らしいものです。
それ以上の幸せは、たぶんありません。
それは生まれてきた意味を生きるってことです。
そして生まれてきた意味が同じ人なんて、誰もいないのです。
それが本当の多様性、
同じ顔の人は一人もいません。
どうやらそれ以外、興味がないらしい
僕の生活はそういうことを追求するためにあるような、
ずっとそんな気がしています。
本「イナコメ」では「100%の人生」と
表現しました。
しょぼい百姓という生活スタイルも
農的な生活も
幸せな支出削減も
田舎移住も
ソバーキュリアス、断酒も…
あげればキリがないのですが
全てが100%の人生のため、です。
それが最上の幸せであって、
しかも世のためにもなるという
究極の使命、生まれてきた意味だと思うからです。
そうじゃなきゃいけない、なんてことは「無い」けども
なんだか偉そうな書き方であります、
スイマセン。
だけど、同時に、
全ての人がすでに100%を生きています。
今、「俺の人生は何%」なんてことはないのです。
それは初めから、この先の未来永劫、ずっと100%。
この世界はすでにそうなっていて、
特別に何かをしないといけない、なんてことは一つもありません。
全ては流れの中にあって
その中で100%の人生だと思ってようが
そうじゃなかろうが、
なんの関係もないのです。
だから「100%の人生」って表現は
好きじゃないのです。
だけどだけど、、
やっぱり多くの人は
自分で決めている、と思っているけども
実は社会によって決められた生活をしています。
自分の人生って
自分で決めているようで
全然決めてないのです。
そういう意味で
「100%の人生」じゃないかも、ということです。
とんでもなく面白い未来って
人生っていうと大袈裟ですが、
何が自分にとって良いか悪いか、という
物差しのこと。
それを僕らは一般常識という名で
社会から貰っちゃってるんです。
それは現代社会で安全に生きていくための
一つの指針、法則です。
それを守っていれば
安全に生きながらえる可能性が高くなる、ってことです。
でもでもでも、、
それも今、激変しちゃってますからね。
一旦リセットして考え直してみるのも
面白いんじゃないでしょうかね。
で、いろいろと考え直した結果、
僕の場合はとんでもなく面白い未来しか
思い描けないのです。
それは僕の人生のこと、ではなくて
どちらかといえば、世の中全体のことです。
僕の人生も面白いけども、
みんながそうなら、
そんなみんなにつられて必然的に世の中も
そうなっちゃうってことです。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。