今日は田植えをします。
今年、新しく増えた田んぼ、
田植え機でダーッとやります。
今までしてた2枚の田んぼは
例年通り手植えでやります。
そっちは月末の予定。
いろんな方が行きたいです、
なんて言ってくれるので、
手植えの田んぼはもうやめれませんね。
ま、自分の好きなように苗を作りたかったら
手植えでするしかない、という理由もあります。
いろいろと理由があって、そうしております。
毎年のように工夫します
毎年毎年、いろいろと考えるわけです。
なんでもそうだと思いますけどもね〜
昔、この辺よりもさらに山の方へ行くと
米が作れなかったそうです。
春が遅くて、苗づくりが間に合わないんですね。
それで、うちの村で苗を作って
その苗を持っていって田植えしたそうです。
そういうのも工夫ですね。
いろんな工夫をして
なるべく豊かに暮らしていきたいわけです。
堕落の歴史か、工夫の歴史か
近代の歴史を
堕落の歴史みたいに言う人もいますが、
僕はそう思いません。
毎年同じような作業をしていると、
より良い方法を思いついたとか
こっちでもできるじゃん、
みたいなことありますよね。
ふと思いついたようなこととか、
そういう改善の積み重ねだと思うんです。
もちろん、そうじゃないものもあって、
いわゆる行き過ぎた資本主義。
イナコメではオカネ教と書きましたが、
お金がないと死んでしまうと思っているんです。
お金がないと自分はもちろん、
周りの自分の大切な人も守れないと
思ってるんです。
それはただの思い込みかもしれませんね。
勧善懲悪は気持ちいいから
だから何かが悪いわけでは無い。
勧善懲悪は気持ちいいですし、
わかりやすいですし、
僕も誰もが、無意識にそうなっています。
だけど、悪い人や悪いことを見て、
それを悪いと認識できるって言う事は、
それが自分の中にもあるからなんです。
例えば、小さな子は
悪いことを見てもわかりません。
なんで悪いの?ってなったりします。
それは、その子の中に
その悪いものがないから、わからないのです。
でも、成長するに従って
これは良いこと、あれは悪いことって
覚えていきます。
いわゆる善悪がわかるようになっていきます。
それは悪いことが
自分の中にもできてきた、
ってことです。
そしてその元は不安です。
全部自分が作っている
世の中って実は、
全部自分が作っているのかも
しれません。
そんなことを思うことって
ありませんか。
ってなんだか
すごい話になってしまいましたねぇ。。
今日は田植え、って話でしたっけ。
毎度、話が広がりすぎてスイマセン〜

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。