自然というのは何でしたっけ

なるべく自然に近い形で
農業をやりたい、、という人は
多いと思います。

むしろ、
自然なのが唯一絶対の正義である、、
という感じの人もいるでしょう。

ま、そんなきつい言葉では
表現しないでしょうけども。

地球の自然を守るために
人間は排除すべき、、なんて考えが
透けて見えるような人もいますしね。

自然なものばかり食べようと思ったら
野草くらいしかありません。

食べられる草はたくさんありますが、
毎日毎日お腹いっぱい食べられるような
そんな美味しいものってあんまりありません。

美味しいけども、毎日は食べられません。

しかも、、僕の大好きな米は
勝手に生えてこないのです。

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米や野菜は育てないと食べられない

米や野菜など、
僕らがいつも口にする農産物と
食べられる自然の野草、
その決定的な違いはなんでしょうか。

それは種を選別するかどうか、です。

食べるところの少ない野草の中でも
なるべく大きく育ったものから種をとって
その種を育て、
少しずつ理想的な野菜にしていきました。

毎年、いい種をとって
翌年にまたそれを蒔く、
ということを繰り返してきたわけです。

これ、人間に対してやっちゃうと
優生学、ということになっちゃうんですが、
農産物には太古の昔から
そういうことが行われています。

僕らのいつも食べている米や野菜は
ほぼ全て、そういう種なんです。
在来種、固定種だろうが関係ありません。

人間で言えば、
背の高い人だけに子供を作らせる、
その子孫の中から背の高い人だけを選んで、子供を残す、、
それをずっとしてたら、
背の高い人ばっかりの村ができるかも、、
ということです。

背が高いというメリットはあるかもしれませんが
特有の病気になりやすいとか
そういうデメリットは必ず現れます。

僕らの食べているものは
そういうものです。

自然ってなんだっけ

だから、田んぼや畑が
必要になってくるんです。

人間が手をかけてやらないと
美味しいものはできないのです。

大きくて美味しくて育てやすい、というは
メリットですが
勝手に生えてこないのは
デメリットとも言えます。

野草みたいに生えてくれるものもありますが、
そうじゃないケースが圧倒的に多いです。

ご先祖さまは毎年、田畑で米や野菜を育て
種を選別して、より良いものを作ってきました。

良い、というのは
都合が良い、という意味です。

自然にとって良いかどうかは
よくわかりませんし、
大体、自然にとって良いというのが
どういう状況なのかも
よくわかりません。

そして、そんなややこしいことをする人間も
自然の一部、ですから。。

カチコチになった価値観

僕がこんな妙な、おかしなことばかり言っているのは、
価値観や常識や当たり前、いわゆる思い込みを
グラグラ揺らしたいからです。

グラグラ揺らして揺さぶって
自分にとって何が正解なのか、
考える時間をつくってほしいのです。

余計なお世話かもしれませんけども〜〜

僕らは、多くの価値観を
世間から知らず知らずのうちにもらっています。

だから、僕らの持っている価値観は
似たような部分が多いわけですが、
もっと、多種多様な価値観が
それぞれにあっていいように思うのです。

そして、その多様な価値観が
とんでもなく面白い未来に
繋がっていくように感じるんです。

美味しく育ってくださいませ!

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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