たまに風邪をひくと良い、自我を忘れた話

こないだ、、
風邪で寝込んでたんですよ。

今年はもう二回目かなぁ。
過労で倒れてるような感じ。
よくありませんねぇ、、
ま、今年は仕方ないか。

でも、、

風邪をひいて寝込むのは
嫌いじゃないのです。

それが好き、というとちょっと違いますけども、
悪くはないように思います。

身も心もスッキーリして
なんだか世界が一皮剥けたように見えたりして。

特に今回はなかなか強烈に疲れてたみたいで。

恐ろしく深い睡眠のあとに
自我を無くすような時間があったりして、
それもおもしろい体験でした。

ヒッピーが昔、LSDやらを使って
神秘体験を模索したようなものかもしれません。

それはたぶん、、
真実とは異なる、似て非なるもので
そこに固執する必要も有り難がる必要も全くない、
とは思いますが。

でも、起きた瞬間に
何世紀も寝てたような気がして、
実際にはそれは1時間ちょっとだったのですが、
そのときあらゆる全てが完璧なんだ、、
ということ以外に、何もわからない状態だったのです。

自我を無くしてしまったとき、
宇宙は全て完璧、なんてことを感じてしまうのです。

もちろん、自我もその一部とするなら
僕らにしたって
すでに、今までも、これからもずっと
それは完璧なのです。

しばらくして、
たぶん10分とか15分後ですが、
感じたのは
心地よさ、気持ちよさでした。

心地よさ、みたいなものも
度が過ぎると
それがなんなのか、
さっぱりわからないのです。

少し落ち着いて
自我が少し戻ってきた頃にやっと、
これって心地よいって感覚だよな、、
って思い出すことができたのでした。

そんな状態です。
面白いでしょ、、

ま、見方さえ変えれば
この世はどんな風にでも変わって見えるのです。

世界は何も変わっていません。
僕の見方が変化していただけ、です。

そんな世界を僕らは
初めの初めから生きているってこと。

そういう風に感じながら生きていたら
未来の可能性を潰さずに済むんじゃないかって
思ってるんです。

だから、オールオーケー!

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過去、現在、そして未来

普通、未来は、
過去と現在の延長にあります。

でもそれって
ずいぶんと可能性の閉ざされた未来に感じませんか。

大抵の人にとって、
未来が劇的に変わることってそうないのです。

それは今も過去を生きているから。

未来には無限の可能性があって、
今、何をしたって自由なのです。
でも、全てが自由なんて到底思えないでしょう。

それが自我であり、思い込みであり、
慣習、普通、常識、倫理、正義、当たり前、こだわり、性格、偏見、、、
なんて言葉で表されるものも近いものでしょう。

僕らは「過去」の自分的判例にしたがって
ただ同じような反応を繰り返すロボットみたいなもの。

その応答プログラムが自我、というわけです。

ま、それが「悪い」わけではありませんが、
そういうものを少しずつ断捨離すると
毎日の生活が、完璧な当たり前の世界に
すこ〜しだけ近づく感じがします。

ま、近づこうが遠ざかろうが
僕らはいつもお釈迦様の手のひらの中、
というのも変わらないのですが。

ダハハハハ〜〜

10/22(日)ピロール講演会あります in 能美市寺井

そうそう、ピロールの講演会のお知らせです。

48年って、、もはや半世紀じゃないですか。

貴重なお話が聞けるとおもいます。

内容はYouTubeでもアップしたいと思ってますが
カットせざるを得ない部分もかなりあるでしょうね。

ご興味ある方はぜひ生でどうぞ。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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