奴隷の生き方論・その5(完)

最初の記事はこちらからどうぞ。

長い連載でしたが、
前回で基本的なところは一応おしまい。

今回はラスト、
「未来を待つ必要はないん駄話」と題して
ウダウダとあーでもないこーでもない話を綴ります。

目次

一体、誰が悪いのか

いや〜ひどい世の中なのであります。

金のために人殺しをするような
そんな感覚、到底理解できないのであります。

だけども、そんなことがまかり通る世の中でありまして、
それをひどい世の中、と言っても差し支えはないでしょう。

だけどだけど、、

いったい誰が悪いのか、、なんて
犯人探しする気にはなりません。

よくよく考えてみると
悪い人たちの気持ちもわからんでもないような
気がするからです。

そういうところに生まれてたら、
僕もちゃんとそうなってるだろうね、、ってことです。

* * * * *

たまに、世の中を震撼させるような凶悪な事件って
ありますね。

そんなときに犯人の半生が
報道されたりします。

彼らの境遇を聞いたりすると、
僕が彼らのかわりに生まれたとして、
その彼らの半生をそのまま体験したとして、
同じ過ちを犯さない、という選択肢はあっただろうか、、
なんてことを思うのです。

その運命に逆らうことは
できなかったのではないか、、と。

そうだとしたら、
悪いのは彼らではなくて、
周り、ということになります。

もちろん、犯罪をおかせば
法で裁かれるわけで、
彼らが無罪だとか言うわけではありません。

ただ、この社会のあり方が
犯罪を産んだ可能性もあって、
そして、僕はその社会の一員なのです。

何度も書きますが
社会というものがどこかに存在するわけではありません。

社会とは人の群れのこと。
僕もその群れの一人、というだけのことです。

社会が犯罪を産むならば
その責任の一端は僕にもあるように思うのです。

* * * * * 

だから、、

ひどい世の中だと感じても
犯人探しをする気にはどうもなれません。

ひどい世界にしたのは誰かのせいなのか、
いや、それとももしかして、
みんながある種、望んでそうしているだけなのか。

だって、社会を作っているのは
紛れもなく一人一人なのですから。

今、何が起こっている

世界ではいろんな動きがあるんでしょう。

その動きを見て、感じて、
今から世界はこうなるよ、って
言ってくれる人もいます。

そういう情報も大事ですね。

だけど、僕はあんまり興味がありません。

自分の身は自分で守る、
自衛するという意味で
少しは知っておいた方がいいかもしれませんが、
あんまり深く知る必要もないんではないでしょうか。

そんなことを聞いても、そうしたい人がいるんだから、
仕方ないでしょう、、って思ってしまうんです。

そして、そういうことをしたくなる気持ちって、
やっぱり僕の中にもあるように感じるのです。

* * * * *

僕が、海賊の国に生まれたとしましょう。

そこでは奪うことが当たり前で、
争いが絶えません。

その国では、
一人前の男になるってのは、そういうことです。

戦いに勝ち、相手から奪うことを覚えて大人になるのです。

だけど、まだ青い、半人前のころには
そういうことを受け入れられずに
いろいろと思うところがあります。

お父さん、そんなことばっかりしてちゃダメだよ、、と。
もっと相手を尊重して
みんなで平和になった方がいい、、と。

だけど、その世界で
そんな絵空事は通りません。

僕もいつしか、奪うことに慣れていきます。
そして、一人前の男になるのです。

* * * * *

生まれた場所で、文化で、
人はつくられてしまうのでしょう。

それは仕方ありませんし、
変えようがありません。

そして環境によって、人が変わってしまうのならば
もともと、そんな気持ちの種が僕の中にもあった、ということです。

誰かから奪ってでも保身したい、
そういう気持ちって、誰の中にも当たり前にありませんか。

だから、誰かを悪いものに仕立てて
糾弾することは
どうも自分自身を責めているような
そんな気がしてしまうのです。

ピラミッドと共に

ピラミッドはずっとなくなりません。

いわゆる丸い社会が訪れたとき、
ピラミッドは消えて無くなってしまうと
思うかもしれませんが、
たぶんかなりの間、そのまま残ります。

ピラミッドの三角と未来の丸い社会が
同時に存在する期間は相当長いように感じます。

そして、丸い社会を今すでに生きているからといって、
ピラミッド社会を否定することもありません。

* * * * *

「美しき緑の星」という映画で
未来の丸い社会が描かれていました。

小さな惑星でそんな社会が築かれています。

みんな、個々として生きていて
年に一度だけ集まって、いろんなことを決めるのです。

ただそれだけ。

ルールらしきものはあんまり見当たりません。

なんでそんな素敵な世界になるかって、
一人一人がそういうふうに素敵に生きているから、です。

「美しき緑の星」は
検索すると普通に観れますから、
興味のある方はぜひ、どうぞ。

ただのバランス

今、ピラミッドの社会になっているのは
世の中の人々がそう望んでいるから、
とも言えます。

知ってか知らずか、
そういうふうな社会にするべく
毎日生活しているのだから、そうなっているのです。

だから、それを望む人がいる限り、
ピラミッドは消えません。

丸い社会、未来を生きる人が
どんどん増えていって、
そんな人が多数派になったとしても、
ピラミッドはまだ消えません。

過去を望むノスタルジックな人が
必ずいるのです。
昔はよかった、、と。

それは単に多様性、ということ。
人それぞれ、というだけのことです。

ピラミッドを生きる人、未来を生きる人の比率の
ただのバランスなのです。

どちらが良いとか悪いとかではありません。

ただ、丸い社会のほうが
コスパや生産性は圧倒的にいいですよ。

みんな、コスパも生産性も好きでしょ〜〜

才能を発揮する世界は楽しい

結局、気づいてしまえば
すごく簡単なことなのです。

なんで、みんな気がつかないのか、、
いや気づきたくないだけなのか、、

いや、実はみんなとっくに気づいていて、
みんなが気づいていることに気づいていないのは僕だけで
僕がひとりでピエロでもやってるだけなのか、、とか。

いろんなことを考えちゃうくらいに
すごく簡単なことなのです。

そんな簡単なことを
あーでもないこーでもないと、こねくり回して
あっちから見たりこっちから見たり、
表現し続けています。

まだ世界に無いものを、
あるように見せるって大変なんですよ〜〜
いや、ホンマに。

そんなことを何年かやってましたら、
どうも板についてきたようでして、
なんだか面白くなってきちゃっている僕です。

たぶん、、これって僕の才能なのです。
才能は発揮すると楽しいのですよ。

今までのピラミッドの世界では
才能は発揮すると妬まれますが、
未来の丸い社会では
才能を発揮することは
社会に貢献する当たり前のことです。

だから、未来の社会は楽しいのです。

才能のない人なんて一人もいませんし
何かに貢献することは楽しいことですよね。

簡単なことです。

いつでも半分だけ抜けていい

僕はピラミッドの社会に生きています。
同時に未来の丸い社会を生きています。

それはただのバランスです。

どんなバランスにするかは人それぞれ、
好きなようにしたらいいでしょう。

どちらにしないといけない、
なんてことは一切ありません。

それらは水と油、敵同士
みたいな感じではないのです。

そして、いつでも誰でも、
ピラミッドから少しだけ、抜けることができます。

抜けた分だけ、ちょっと自由になりますが、
ちょっと変人になります。

それもただのバランスです。

今はまだピラミッドがいい、なら
それでいいじゃないですか。

それも一つの役割なんです。

全てに役割があって、
そこに良い悪いはありません。

だけど、いつでも誰でも
ピラミッドから抜けることができます。

急に抜けると大変だし、
周りも心配するでしょうから、
少しずつにしてくださいね。

なにかを焦る必要なんて、全然ないのです。
世界のことを憂う必要も、同じように全然ありません。

お金サイコー

全てのことに良い悪いはありません。

確かに、奴隷からそっと脱却しようと思ったら
お金から少し離れることは必要です。

だけど、それもお金を否定するわけではありません。

だって、お金ってすごく便利でサイコーですよ。

みんな、お金好きでしょう〜〜

僕も、自分のとこのお米が売れたり本が売れたり、
本当に嬉しいのです。
ネット決済で次の振込予定の金額が増えると
キタキターって感じでめちゃ嬉しいですよ。

それはやっぱりお金という発明の
素晴らしい部分です。

みんなで価値の共有、
才能の共有が簡単にできるのです。
お金を介して
誰かの才能に触れられるってことです。

それって素晴らしいことなんです。

だから、
何かを悪者にする必要はありません。

それは全てにおいて、です。

ところで、この話を鵜呑みにするならば、
善悪をこうだ!と決めちゃう人は悪い、
とも読めるってわかりますか??

良いも悪いもありません〜って言うと、
良いとか悪いとかすぐ決めちゃう人ってダメじゃね〜〜
って言ってるようにも聞こえちゃうのです。

そういうことを必ず含んでしまうのです。
それはコインの裏表と同じで
どちらかだけ、というわけにはいかないのです。

だから、最終的に
僕らにできることはなにもなくて、
好きに生きるしか、ないのです。

そんなこと言うと
好きに生きてないアイツはダメだ、
みたいなことも含んじゃうんですけどもね。

ダハハハハ〜〜

結局笑うしかないのです。

っていうと笑わないやつはダメだ、
みたいな。。

いや〜困ったなぁ。。

こだわりと戦争

〇〇は良いことだ、
⬜︎⬜︎は悪いことだ。

みんながそれぞれに、
それを決める基準、価値観を持っています。

常識、普通、価値観、
正義、倫理、信条、
こだわり、思い込み、性格、
主義、理念、思想。。

こだわり、なんて言うと
昨今はすごくポジティブなイメージですね。

こだわりはあった方が偉い感じ。

だけども、本当にそうでしょうか。

やっぱりそこに良い悪いとか、優劣とか、
無いように思うのですが、いかがですか。

相容れない価値観の違いで
喧嘩になる、仲が悪くなるってよくありますね。

別にみんながみんな仲良くしないと、、
とも思いませんけども。

やたらとこだわりすぎると
戦争になっちゃいそうでしょう。

いや、知らんけど〜〜

(完)

秋おこし。
久しぶりにトラクターに乗ったら
なんか面白かった。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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