情報発信と才能の発掘

ネットで情報発信すること、
自分の才能を発見すること。

このふたつって、
繋がっているように思うのです。

今日はそんな話。

目次

プチビジネスにイイ!

情報発信しつつ、自分の商品を売る。

そんなプチビジネススタイルが
一般的になりつつあります。

ネットの広告費は伸び続けていて
すでに4大メディア(テレビ、新聞、ラジオ、雑誌)よりも
多くなっているくらいですから。

特に、個人や中小のプチビジネスは
ネットメディアと相性がいいですね。

旧メディアはある程度資金がないと
使えないイメージでしたが、
ネットメディアは無料からいけます。

ターゲットも超ピンポイントに絞って
発信することも可能で
マニアックな人ばかりに集まってもらうことも
できるんです。

そんなわけで、
ネットで発信する人は増え続けています。

でも、情報発信をはじめてみたけど挫折しちゃった、
って人も多いことでしょう。

ま〜新しいことを始めるって
大変なことですけども、
それ以上に、実際やってみると、
ネットで情報発信をしても
思ったよりもなかなか成果が出ないのです。

そんなに甘くない

大体、毎日毎日書いたって、
読者なんか全然増えませんし、
毎日動画をアップしたって、
チャンネル登録は全然増えません。

あ、僕のブログや動画の内容が
悪いのかもしれませんね。
マニアックすぎるのです。

だけど、、

自分が本当に納得できるような内容でないと
続けられないのです。

そして、自分と同じ、
マニアックな人に集まってもらうのが
プチビジネスのキモであります。

だから、アクセスが増えなくても
視聴回数が伸びなくても、
チャンネル登録が増えなくても、
あんまり気にすることはないのですが、、

いや〜それにしても
なかなか実際の成果には繋がりませんね。

まともに売れ出すのに
2、3年はかかりますよ。

僕のYouTubeでは
ピロール農法のこともボチボチ発信しています。

初めてエルゴンさんに
むらも農園っちゅう人のYouTubeを見て
ピロール農法に興味を持ったんです、、
という人が現れたのは、
YouTubeを始めて2年以上経ってからでした。

そういう人がいつ現れるかと待っていたんですが、
なかなか現れませんでしたねぇ。

いったい何を発信したら

その時点で150本くらいは
動画をアップしてたでしょうか。

成果が現れるには
それくらいの物量が必要です。

そんなにネタがあるか〜い、
って思う人も多いでしょう。

もちろん、ピロールのことばかり
発信しているわけでもありませんけども。

なかなか、何を発信すればいいかわからなくて
ネタ切れになる、という人が多いかもしれません。
それで気がついたら更新頻度が下がっていってしまう。

これはたぶん、、
誰かの役に立たなきゃ、、みたいな思い込みが
一番邪魔するんじゃないかと思うのです。

誰かのためとか、実は必要なくて、
ただ自身の才能を表現したらいいと思うのです。

才能ってなんだ

ものを作る人がいるとしましょう。

ものを作る、クリエイターにも様々ですが、
大抵は自分の作るものに自信が持てません。

大衆の望むもの、要は売れそうなものと
自分が本当にいいと思うものには
当然のごとく乖離があるから、です。

ほとんどのクリエイターは
売れそうなものと自分が本当に好きなものとの間を
右往左往したり、間をとってみたりします。

技術面の問題もあります。
知識、勉強不足の問題もあります。

自分より上手な人はいくらでもいて、
自分より詳しい人もいくらでもいるのです。

一握りのぶっ飛んだ、
ネジの足りない系の人(褒めてます)を除いて、
マ〜みんなそんな思いを持っているでしょう。

たまにぶっ飛んだ人を見ると
いわゆる才能という言葉が
脳裏をチラつくものです。

だけど、、
才能って、
大きいところから小さいところまで
いろいろあるのです。

本当に欲しいのは?

歌が上手い人の音楽だけに価値があるのなら、
世界で一番上手い人の音楽だけしか必要ありません。
それだけを聴けば十分です。
他の歌い手に価値はありません。

だけど、そうじゃないでしょう。

才能のある人の作った音楽だけに価値があるのなら、
世界で一番すごい人の音楽だけで十分です。
バッハでも聴いとけばいいんじゃないでしょうか。

でも、やっぱりそうではありません。

だって、、

結婚式の余興に、
音楽音痴の友達が、
頑張って練習したであろう曲を披露してくれる、、
そんなの、いいじゃないですか。

知ってるミュージシャンがどんな曲を作るんだろう、、
ちょっと聴いてみたいでしょう。

そういうことなんですが、、
自分の才能の話となると、
どこにそんな才能が眠っているのか、、
と思ってしまいます。

才能を発掘する

自分の才能は、
自分で発掘するしかありません。

いくら周りに、それあなたの才能ですよ、
なんて言われても
本人が意識できないのなら
その才能を自分で伸ばして発揮することはできません。

それはある種の気づきです。
気づきがいつ起こるかは全然わかりません。

だけど、周りの誰かの「できないこと」に
ちょっと注目してみると
そのヒントになる可能性はあります。

そもそも、「できない」人の中には
できるのか、できないのか、それすらわからない人がいます。

全然、まるっきり見えないのです。

床にゴミが転がっていて、
それが見えて、拾う人がいます。
見えるけど、拾わない人がいます。
もともと、全然ゴミが見えない人がいます。

だから、誰かができないことがわかるってことは
自分にはそれが見えて、できる可能性があります。

しかし、自分にはなぜ、それが見えて、できるのでしょうか。
そうできるように練習したことは今まであったでしょうか。

床のゴミを検知して、
それを拾うということを
いつか練習したでしょうか。

いや、過去に練習はしているのです。
でも、本人はそれを
無意識にしているか、
練習だなんて思いもしなかっただけです。

才能とはそういうものです。

才能のない(ゴミの見えない)人からしたら
それができるようになるのには
練習、努力、訓練が必要なのです。

そんなことを思うこともなく、
できるようになっちゃったのだから、
それは才能であって、
生まれた時からもっていたもの、なんです。

細かすぎてスイマセン

そういうことを逐一眺めてると面白くて、
最近そんなことばかり考えています。

でもこの才能という話はうまく話せないのです。
なかなか言語化できないのです。

そのうち、うまいこと表現できないかな〜
と思ってはいるんですけども。

もう少し時間がかかりそうです。
今のところ、
今日みたいな細かすぎる話に終始してしまうのです。

なんか情報発信の話だった気がしますが、
なんの話でしたっけねぇ。。

紅葉だなぁ〜〜

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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