幸せにしてくださいの謎

昔のドラマとかでよくあった気がするシーン。

「僕があなたを幸せにします!」
「幸せにしてね…」
みたいなやつ。

ア〜こういうのを歯が浮くって言うんですねぇ。
書いてるだけでムズムズしますが…
こういうシーンって
今でも一般的に使われてるのでしょうか。
昨今のドラマ事情は全然わかりませんけども。

今日もどうでもいい話で申し訳ないのですが、
幸せにしますとか、幸せにしてくれとか、
それって、自分の幸せを他人に委ねているような状態と言いましょうか。

そういうの、あんまり、わからないのですわ…。
普通はそんなことをイチイチ疑わないかもしれませんけども…。

あ、自分がマイノリティだという自覚は一応あります。

目次

〇〇があれば

○○だから幸せ、
〇〇があれば幸せ、という感覚は
なかなか奥深いですねぇ…。

〇〇にはあらゆることが入りますよね。

お金があるから、
健康だから、
パートナーがいるから、
人間関係が豊かだから、
運が良いから、
美味いもの食べてるから、
成長できるから…
などなど。

これは無限に出てきそうです。
そして、みんながそういうことを目指して
日々頑張ってる、ってことも理解できます。

でも、僕はあまのじゃくなんでしょうか。
逆に考えちゃうんです。

お金があるのに、不幸せな人はいない?
健康なのに、不幸せな人はいない?
パートナーがいるのに、不幸せな人はいない?
人間関係が豊かなのに、不幸せな人はいない?
運が良いのに、不幸せな人はいない?
美味いもの食べてるのに、不幸せな人はいない?
成長できるのに、不幸せな人はいない?

どうでしょうかねぇ。
条件が揃うからと言って、
必ずしも幸せとは限らないように思うのです。

てか、幸せになる方法って
どこかに存在するのでしょうか。
それらしいものはたくさんありますが。

これがあれば絶対に幸せである、
ってものは見当たらないような気がします。

あなたが〇〇なら僕は幸せ

結婚観で考えてみると
あなたが〇〇なら僕は幸せになれるかも。
だから、ちゃんとしてくださいね、
ということでしょうか。

「ちゃんとしてくださいね」を
多少乱暴に言い換えるなら、
僕の都合のいいようにちゃんと振る舞ってね、
ってことかもしれません。

そう考えるとちょっと怖い気もします。

幸せの玉ねぎ剥き

それは、
玉ねぎの皮を剥き続けるような話です。

玉ねぎの皮を1枚剥いて、
もう1枚剥いて、
ずっと剥き続けるのです。

いつか、玉ねぎの中心あたりに、
幸せっていう素晴らしいものがあるんじゃないか、と
剥き続けるのです。

玉ねぎの皮にはいろんな意味があります。

もっとお金が稼げたら、
幸せにたどり着けるかもしれない。
もっと人間的に成長できたら、
幸せにたどり着けるかもしれない。
もっと誰かに好きになってもらえたら、
幸せにたどり着けるかもしれない。

そんなことを思って、信じて、
ず〜っと玉ねぎの皮を剥いていきます。

マ〜、それがダメだ、とか、
そんなことしても無駄じゃないか、
という話ではありません。

どこまで行っても

孫悟空は得意の筋斗雲に乗って
遠く遠くまで行きました。
地の果てまで来たと思ったけど、
実際にはお釈迦さまの手の平から出ていませんでした。

孫悟空は、
お釈迦さまの監視から逃れようと
遠くまで逃げていったわけですが、
全然逃げきれずに諦めることになります。

もしかしたら僕らは、
幸せにならなきゃいけない、という
呪縛に取り憑かれているのかもしれません。
その呪縛にずっと監視されているのです。

だから幸せになるために、日夜努力するのです。
遠くまで飛んで行った孫悟空のように。

幸せになるために〇〇が必要だと思うなら、
裏を返せば、今は幸せじゃありませんと宣言しているのと同じです。

今は幸せじゃないけど、
未来、〇〇が手に入った時に
幸せになるはずだと信じているのです。

そうやって何かを求めて
遠くへ飛んでいきます。
玉ねぎの皮を剥き続けます。

それが悪いわけではありません。

だけど、いつか、
孫悟空みたいに諦める日は必ず来るのです。

どこまで行ってもお釈迦様の手の平からは出られないし、
玉ねぎは剥いても剥いてもずっと玉ねぎで、何にも出てこないのです。

いや〜しかし今日も
余計なお世話ダヨ!的な話でありました。
僕はこういう話、大好物なのですが、
皆さんはどうでしょうか。

って、なんの話でしたっけ〜〜

おっきな田んぼに挑む4条の田植え機はなんかかわいいです。
ぜひ頑張っていただきたいです。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

目次