否定も肯定もない、その態度

いや〜面白い表現を思いついたのです。

ちょっと難しいことを考えていて、
そのことで頭を捻っていたのです。

文化人類学あたりのことです。
知らない言葉がたくさん出てきて
なかなか慣れません。
みんな難しいこと考えるよな〜〜、とか思いつつ、
頭を捻っていました。

僕もややこしいことを考えているように見えるかもしれませんが、
それとは頭の使っている箇所が違う、というか。
慣れない思考は疲れるものですね。

それでうんうんと
考え込んでいましたら、
ふと、見えたものがありました。

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否定も肯定もない

文化人類学や奥野先生の本なんかに
なんとも言えない心地の良さを感じていたのですが、
その正体がわかった気がしたのです。

それは、
否定も肯定もない、その態度、です。

俯瞰して観察するだけ。

たぶん、そういうことなんです。

何もわからないことを知る

プナンに会いに行くフィールドワークに同行した
山田さんの報告会を聞きに行ったときのこと。

プナンの暮らしぶりや状況における問題点について、
ずっと質問している方がいました。
そこにはこういう問題があるでしょう、
それをどうにか解決せねばならんのではないか、と。

そういう風に捉える人も当然いるよな〜
と思いながら、それを聞いていたのです。

だけど、文化人類学的な観点からすると
なんとも言えず違和感があったのでした。
いや、文化人類学的な観点ってのも
よくわからない僕ですけども。

僕の感じた違和感は、
俯瞰するだけでなくて、
それに対して意見を述べたり
解決しようとする感じ。

物事に対する善悪や、
問題を問題とする根拠、
解決することが善であるという態度…
それらは一体どこから来ているのか、
それがキチンとわからないのに、
解決することはできないように思うのです。

解決したつもりが
全然見当はずれの方向に行ってしまっていた
って、往々にありますよね。

いや、それも
善い悪いではないかもしれませんけども。

否定も肯定もない、再び

奥野先生は若い頃に
仏僧の経験もあるそうで、
その経歴と文化人類学に
すごく近い雰囲気を感じていたのです。

それを僕なりに表現するなら、
否定も肯定もない感じ、
ってことです。

宗教の中の重要な部分、と言いますか。
僕が勝手にそう思っているだけですけども、
宗教から、宗教の枠を取り去った後に残る、
「宗教性」とでも言いましょうか。

そういうのが僕の大好物なんです。
伝わりますかね〜この感じ。

宗教から、
それぞれの宗教が持っているルールとか
そういうものを引き算するのです。
そしたら、そこに何か、
共通するようなものが
残っているような気がしませんか。

それのこと。

文化人類学の態度にも
そういうことを感じるのです。

難しい話になっちゃいました〜〜

今年の田植えも無事終わりました〜

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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