やっぱり観念せえや

たぶん……

皆さん毎日、
忙しく過ごされていることでしょう。

あれやこれや、
やらなきゃいけないことがたくさん、
山盛り、カチ盛り、デカ盛り、
山のように積み重なっています。

しかし、なんで忙しいんでしょうかね〜
そんなことをちょっと振り返ることってありますか?

たまには考えてみてもいいかもしれません。

目次

もっと暇なはず?

よくよく考えたら、
僕らはもう少し暇でもよさそうなものです。

昔は日本人の8割が百姓をしていました。
今、農家は1%ほどです。

生産効率が飛躍的に上がったわけです。
昔だったら8割の日本人が毎日毎日していたことが
現代ではほとんど丸々空いちゃったのです。

そんなに丸々予定が空いちゃったら、
もう少し暇でもいい気がするのですが、
なんで今でも、こんなに忙しいのでしょうか。

不思議な感じがしませんか?

それについて、
ピラミッド型の社会、
搾取の構造、
僕らはどう考えても奴隷…
なんてことを話すつもりはありません。

そんなことに興味のある方はこちらの記事でどうそ。

今日は僕が哲学っぽいと思っている
あれやこれやの考えから
忙しすぎる件について書いてみます。

あれもせなならん、これもせなならん

僕らは毎日、あれもせなならん、これもせなならん、
と思っているのです。

そう言われて、そんなの当たり前でしょ、
って感じるでしょうか。

だけどよくよく考えてみれば、
朝起きてから夜寝るまで、
生活の隅々に至るまで、
本当にそればかりなのです。

そして、自分の好きなように
毎日を生活しているように思っていても、
実際のところはそうでもなかったりするのです。

あれもせなならん、これもせなならん、
という気持ちに支配されているのです。

自動運転に身をまかせ

自分の意思で人生を歩んでいるように感じていますが、
実際はそうでもありません。

自分の代わりに人生を生きている、
いわば自動運転の元が存在します。

それが観念です。

観念は行間みたいなものです。

行間は読めませんが、
目に見えるそのリアルな文章を支えています。

行間なくして文章は書けません。

人生も同じ、
観念がなく人生が始まることはなく、
人生は常に観念に支えられています。

僕らの人生が始まった瞬間から、
同時に観念も存在するのです。

物心ついたときから
僕らはそれぞれが持っている観念とずっと一緒だから、
観念という存在は当たり前すぎて、
非常に気づきにくいんです。

僕らは空気の存在に気づかないし、
海の生き物は水の存在に気づかない、ということです。

観念せえや

自分の人生を取り戻したい、
という表現も実は妙なんですが、
(初めの初めから、自分の人生やんけ、と)
ま、そういうようなことを思ったら、
この観念というものに
少しずつ気づいていく必要があります。

そして少しずつ気づいていくその過程で
その先に何か自身の求めるものがありそうな気がするのです。

だけどある時、
それが無限に続く道であることに気づきます。
このまま少しずつ進んでいっても
どこにも辿り着かないし、そこに宝は無いと悟るのです。

それは、筋斗雲でどこまで飛んでも
お釈迦さまの掌から出られない孫悟空のよう。

僕らはいつか観念せざるを得ないのです。

自分を取り戻す的なやつの

諦める、という言葉は元々は仏教用語で
明らかに見る、という意味だと
聞いたことがあります。

それが本当かどうか知りませんけども、
まさにその通り! という感じはします。

諦める、手放した時に視界が開けるのです。

そういうことを自分を取り戻す、と表現するのは
やっぱりなんだか妙な話ですが。

何かに気づいた自分も
そうでなかった自分も、
やはり自分だからです。

重大な出来事、気づきがあって、
その後の自分を特別視したくなる気持ちもわかりますが、
そんな気持ちすらも諦めちゃう、というのはどうでしょうか。

特別な自分など、
初めからどこにもいなかったのです。

もしも、新しい自分になったら

いつも通り、
何の話だったかわからなくなってきましたが。

毎日がやたらめったら忙しいのは
乱暴に言うならば、思い込み、です。

それをやらねばならん、それが普通、常識、
自分の性格でありアイデンティティーであると
信じ込んでいる可能性はないでしょうか。

もしも…

明日の朝起きた時、
今までの記憶が一切なかったとしたら…
その日からの人生はどんなものになると思いますか。

一体どんな自分になるのでしょうか。

今まで気づき上げてきた(と思っている)、
拾って持たされて溜め込んできた、
全ての常識、思い込み、観念から解き放たれたら…

そこにはどんな自分がいるのでしょうか。

やっぱり今みたいな忙しすぎる毎日に
少しずつ戻っていくのでしょうか。

どう思いますか。

本当は全てが自由なんです。
忙しいのも忙しくないのも自分で選択しています。
だけど、それは無意識のところで観念がしている仕事なのです。
そこのところに意識を向けさえすれば、選択は自ずから変わっていきます。

選択を変えることに注力、苦心する必要は全然ないのです。
人生の大半は自動運転ですから。

ミニキャンプファイヤーで炭に火をつけます

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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