哲学の必要な時代らしい

微妙に昨日からの続きです。

僕の自給自足は、恐怖心に駆られた、ただの独りよがりだった気がするのです。
そんなことを思うようになって、自給自足に対するこだわりは消えていきました。
世界中の人が自分にできることを持ち寄って、ずっと暮らしてきたのです。
今だってそうです。
だから、自分の自給自足を考えるのも悪くありませんが、そうじゃなくて、自分にできること、考えるべきことがあるように思うのです。

哲学が必要らしいのです。
ビジネス系のネット記事なんかを眺めていると、そんなことがよく書かれています。
時代が変わって、そういうのが重要になりますよ、と。
まぁ、以前から言われてたような気もしますが、優先順位で言えばまだ低かったのでしょう。
それが最近、ランキングをぐんぐん登っている感があります。
ネットの記事を眺めているだけですから、実際のところはよく知りませんけども。

僕はずっと哲学というものは興味がありました。
小難しいことを考えてインテリっぽい感じに憧れたんでしょうか。
今も、頭いいなぁって人には憧れますしね。

憧れを抱くって事は、自分はそうではありません、と言っているようなものです。
実際に僕は、哲学の難しい本なんて全然読めないのですよ。
カントやデカルトやニーチェやら、知らんがなと。
何を言っているんだ、と。
ニーチェはわかりやすい本が以前売れてましたね。
あれは読みましたけども、何か良いこと書いてるなぁって感じで、次の日には忘れちゃいますね。
ハハハ、僕の哲学レベルはそんなもんなのです。

だけど、ずっと考えてきました。
それは池田晶子先生の「14歳からの哲学」という本の影響が大きいです。
僕の座右の書です。
この本の素晴らしいところは、まず、僕みたいなもんでも読めるというところです。
何せ「14歳からの」ですから。
アラフォー、もうすぐアラフィフの僕なら余裕のはずです。
そして、もう一つ。
一番大事なことが一番最初に書かれているということです。

それが「考える」ということです。
考えるとはどういうことなのか、20数ページにわたって書かれています。
いやいや、考えるなんて簡単ですよ、だって毎日いろいろ考えてますから。
なんて言いたくなるかもしれませんが、僕らほとんどすべての人は考えるということをしていません。
考えるということが、どういうことかすらわかっていないのです。

それが本の一番最初に書かれています。
しかも、14歳でも読めるような文章で。
ご本人も後書きで書かれていますが、優しい言葉だけど、内容のレベルは一切落としていないと。
これがどれだけ凄いことか。
難しいことを難しいままに書く人はたくさんいるのです。
だけど、難しいことを簡単に説明してくれる人は少ないし、それがめちゃくちゃ難しいのです。

本の冒頭からそんな調子なわけですが、それがこの本の最重要ポイントです。
宇宙やら自分という存在の謎やら匂わせながら、考えるということを説きます。
何度読んでも、それは完璧な文章に感じます。
僕もこんな文章を書きたいけども、読み返すたびに遠ざかってしまうようです。
残りのページも示唆に富みますが、残りのページは考えるためのヒント集と言っても良いかもしれません。
考え続けていれば、もしかするといずれ到達できる、かもしれない内容です。
でも、考えるというスタート地点に立つことがないのなら、そこにたどり着く事は絶対にありません。
だから、考えるとは何か、が大切なのです。

考えるという事は、究極の問いに向き合うということと同義だと、僕は思ってます。
僕にとっての究極の問いとは、幸せとは何か、生きているとは何か、自分とは何か、ということです。
それがあらゆるすべての判断、目の前にある現実の一番根っこに当たります。
何事も枝葉だけで判断するよりも、少しでも根っこの部分から思いを馳せた方が間違えにくいでしょう。
少しでも根っこへ、少しでも根っこへ、の究極が、この3つの問いです。

あ、なんだか難しい話になってしまいました。
やっぱり池田晶子先生には敵わないのです。

ではまた明日〜
いつもご訪問ありがとうございます。

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