タブーについては考えてみてくださいませ

この世界は一人ひとりの観念によってできています。
どんな観念を持っているかはそれぞれに違いますから、見えている世界も人の数だけ存在します。
そんな観念というものについて考えていくと、世間でいわゆるタブーと言われるものについても考えることになります。

考えちゃいけないこと、触れてはいけない話題、常識の中の常識とか、古くからの慣習で既に文化となっているものとか、ですかね。
僕はそういうことには言及はしません。
めんどくさいですから。
あれこれ言っちゃうと、みんなびっくりしちゃうでしょうから。
だけど「考える」ということにおいて、何かを特別視する理由は全くありません。

文化だろうが、常識だろうが、こうじゃなきゃいかんとか、こうあるべきとか、そういうのをまとめて観念と呼ぶわけです。
だけど例えば、日本人としてのアイデンティティーに関わるような、昔からの(と思われている)考え方や作法や慣習はタブーなんです。
昔からの伝統だと思っていたものが、割と最近の慣習だったみたいなことも多いですけども。

文化なんて結構変わっていくものです。
家族のあり方なんてのも、時代によって全然違います。
昔ってなんとなく大家族みたいなイメージありませんか。
そして今でも大家族が正義、みたいな。
少し調べたらわかりますが、そういうのも時代によって様々なんです。

古いものだから偉い、正しい、みたいな感覚もあります。
好きに選んだらダメなんでしょうか。
良いとこ取りでいいんじゃないでしょうか。
現代には現代の、昔には昔の良いところがあるんじゃないでしょうか。

僕は、刺激的なことを発言して、注目を集める気にはなりません。
そんなことをしたって、最終的には変わらないような気がするからです。
結局、それぞれが自分で考える以外にないのです。
僕がみんなの分まで考えるわけではありません。

こんなことを書くと語弊がありますが、今はまだ、自分で考えることができる人だけを相手にする時代だと思っています。
選民思想のように聞こえるかもしれませんが、自分で考えられること、それはただの才能です。
才能とは、いつも書いていますが、背の高い低いみたいなものです。
背の高い人は、高いところにあるものを取れたりするわけです。
高いところにあるものを取ろうと思ったら、背の高い人を探せば良いのです。
それも選民でしょうか。

気づくのが早い人も遅い人もいます。
気づくのが遅い人は、周りにそんな人が増えてきたときに、自分もそうなっていきます。
それで良いのです。
みんな必要なんです。
一面のお花畑の中で、誰も咲いていないのに一番最初に咲く花と、満開の頃に咲く花と、みんなが枯れてしまってから咲く花と、花の価値はどう変わりますか。

タブーについて考えられる人は考えてみてください。
まぁ、考えるだけですけども。
ある程度は世の中に合わせていかないと、普通の人のふりをしていかないと、生きにくくてしょうがないのです。
めんどくさいですけど、まだまだそんな時代なのだから仕方ありません。

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