僕は、自称百姓であります。
名刺にも百姓と、ドーンと書いています。
百姓と聞くと、農家というイメージかもしれません。
僕は田んぼをやっていますから、それも間違いでは無いのですが、僕にとっての百姓のイメージは何でもやる人という感じです。
昔、日本人の8割が百姓だった頃、百姓は農業だけをしていたわけではありませんでした。
あらゆるいろんなことをして、生活していたのです。
農閑期もありますし、村の中で自給自足するなら、みんなで手分けしていろんなことをする必要があります。
そんなわけで、昔の百姓にとっていろんなことをするのは、生きていくためには当たり前の生活態度でした。
みんなで生きていくためには必要不可欠で、そうしていたわけです。
その点、現在は違います。
あらゆることの生産効率が上がって、ほとんどの人はすることがないのです。
昔は8割の人が農業をしていましたが、今となっては職業農家は1%程度です。
80%が1%になっちゃって、79%の人はいま何をしているんでしょうか。
昔と比べたら、暇で暇でしょうがないレベルに、社会全体で見ればなっていてもおかしくないのです。
だけど、みんな毎日忙しいでしょう。
おかしなことです。
いわゆる「ブルシット・ジョブ」というやつでしょうか。
直訳して、くそ仕事なんて言われてたりします。
そんな言葉聞いたことないって方はちょっと調べてみてください。
別に、僕がそんな言葉を声高に叫んでいるってことではないのです。
世の中全体で考えたら、それ本当に必要?って仕事をほとんどの人がしているのかもしれません。
生産効率はめちゃくちゃ上がりましたが、一人ひとりの生活態度が追いついてないというか。
それは、実はとっても非合理的な世界です。
大量生産、大量消費、大量廃棄ってやっぱり必要なんでしょうか。
みんなも薄々は気づいているのです。
だけど、なかなか止められない。
クソ仕事をみんながしまくって、その利益をかすめ取られるような社会の仕組みがあるからです。
だから、働けど働けど、全然余裕ができないのです。
この世界の諸々の問題は、この2本立てによるものでしょう。
くそ仕事にNOと言わない大多数と、搾取する社会の仕組みです。
社会の仕組みを変えるのは難しいです。
だけど、自身の生活態度要や生き方は、今日からでも、少しずつでも、変えていくことができます。
それは、社会のあり方、システムに小さなNOを宣言することでもあります。
生産効率が上がって、世の中が豊かになったことを悪く言う必要はありません。
生産効率の向上は、先人の知恵、努力の賜物です。
例えば、田んぼを毎年やっていると、少しずつ工夫して楽に効率よく作業するようになるでしょう。
思いつきでちょっとした道具を作ってみたりして。
そういうことの積み重ねです。
それがものすごい生産効率の向上につながりました。
素晴らしいこと、すごいことだと思いませんか。
そのおかげで、現在生きていくだけなら、全然大した事はありません。
生活に必要なものは簡単に手に入ります。
家も空いてるのがそこら中にあります。
食べるものもたくさん捨てまくっているくらいです。
服もいくらでもあります。
世界の服の廃棄量の推移も一度調べてみたら良いでしょう。
好きなことが思う存分できる時代になっているのです。
昔とは全然違うのです。
だけど、その状況を生かすための生活態度が追いつかないのです。
それには一人一人が考えるしかありません。
考えて考えて考えまくってください。
そんなに考えないといけませんか、と言う人もいるかもしれません。
はい、考えてください。
なぜって、今まで考えてこなかったからです。
考えまくったその先には、今までに経験したことのない人生が待っているでしょう。
大げさに言えば、それは自分の生まれてきた意味です。
自身の才能を発揮するのです。
社会の歯車となって、ブルシット・ジョブに励まなくても良いのです。
そのために考えて考えて考えてください。
何を考えたらいいのか、全然わかりませんという人は、まず断捨離です。
断捨離とは、ものを捨てる、減らすことではありません。
自分で考える、自分で決めるための練習、修行です。
結果として、ものを減らすことになる人がほとんど、というだけのことです。