毎日毎日文章を書いております。
自分で言いますが、なかなかできることじゃありませんね。
でも、こないだ一瞬ネタ切れしそうな日があったんですよ。
ふと大丈夫かなと思いましたが、結局その後、書きたいことがドバドバ出ております。
しょっちゅう書いてますが、これは僕の才能と言っても良いでしょう。
なぜできるのか、僕には説明もつきません。
数年前からブログを書き始めて、今振り返ればそれは書く練習となっていました。
でも、本人としてはそれが練習だとは、あんまり感じていませんでした。
だからと言って、それを楽しいからやっていたのか、と言われるとそうでもなくて、そう思うとなぜ続けられたのかよくわからないのです。
よくわからないのですが、とりあえずこうやって続いているんです。
はっきりとわかることもあります。
それは僕よりすごい文章を書く人はいくらでもいる、ということです。
そういう人たちとは全然、全く勝負になりませんから、勝負しようという気にもなりません。
才能が違いすぎて、嫉妬すら感じません。
書けば書くほどに、そう思います。
できることとできないこと、自分の能力を自分で認識できれば楽でしょうね。
性格テストみたいなものでピピっと、あなたにはこれが向いてます、なんてAIが教えてくれると楽そうです。
だけど、そんなものは鵜呑みにしないほうがいいでしょう。
だってそんなことは「やってみないとわからない」からです。
机上の空論ではいけません。
とにかくやってみることです。
やってみないとわかりません。
やってみれば、わかるかもしれません。
やってみて、できなかったとしても大丈夫です。
そんな事は、できる人に任せておけばいいのです。
人類はずっと共同で生活してきたのですから。
できることも重要ですが、自分にはできないということを知るのも、全く同じく重要です。
言うなれば、それが次のアイデアにつながっていきます。
机上の空論で考えているだけでは、アイデアはそのうち枯れていきます。
動いているからこそ、次のアイデアが生まれてきます。
それはほんの小さなアイデアなんです。
なんでこんなことを思いつかなかったんだろう、と思うようなことです。
でも最初から何もしなかったら、そうやってアイデアは生まれてはきません。
大げさに言えば、アイデアは生きる指針となります。
ひらめいた、その小さな光を追いかけて進んでいきます。
進んでいけば、また別の道、アイデアが開けてきます。
何かに導かれるように、なんて表現する人もいるでしょう。
とにかくいろんなことをやってみる、僕にはそんなスタイルが合うんでしょうね。
そういうのも人それぞれなのでしょう。
そう思うと、やっぱり性格診断みたいなものをしてもらいたくなりますね。
でもやっぱり、そんなものを鵜呑みにしない方が良いでしょうけども。
あ、自分の才能を自分で認識する方法は、そのうちにまた書きますよ。
そういうのもどうもコツがあるようですね。
話は変わりますが、昨今は結婚相手すらAIに決めてもらう、それがコスパ良い、タイパ良いみたいな風潮になりつつあります。
SF作品でもよくある設定ですが、自身の適性をAIに判断させて、その言われた通りの人生を歩むとかって、管理社会ど真ん中のディストピアでしかないような気がするんですが…。
だけど、それを望む人もたくさんいるのでしょう。
それが嫌なら、そんな時代に巻き込まれたくないなら、自分で考えて自分で行動して自分で決めるのが良いんじゃないでしょうか。
自分で決めてないって自分で思う方は、少しずつチャレンジしてみるのも面白いかもしれません。