「100%の人生」なんて言葉を軽々しく使ってはいけない / むらも的霊感商法

一人ひとりの人生が100%なら、その集合体である社会もまた100%になります。
なんてことを、たまに書いたりするのです。
でも、僕はこの「100%の人生」という表現が好きじゃないのです。
他に言葉が思いつかなくて、ずっと使っているんですが。
なぜ好きじゃないのかと言うと、あたかも「あなた今、100%じゃない人生を生きてますよ」って言っているように聞こえちゃうからです。

100%の人生というものがどこかにあります、と言われたら「あれ?自分の人生は今何%なんだろう…」なんて思っちゃうかもしれないってことです。
だけど、本当はみんな、ずっと100%なんです。
100%でない瞬間など、今までなかったし、これからもないのです。
生まれて死ぬまで意識しようがしまいが、ずっと100%なんです。
いや、そもそも何%の人生なんて概念は全く必要ないのです。
じゃあ結局、なんで「100%の人生」なんて声高に言ってて、それはいったい何なのでしょうか。

みんな自分の人生を自分で決めているようで、そうでもありません。
ずっとピラミッド型の社会で生きてきました。
ピラミッド型の社会では、上から情報が降ってきます。
皆さん、こんなふうに生きてくださいね、と情報が降ってきます。
大多数の人はそれを疑うことなく、従って生きています。
自分の人生を自分で決めていないのです。
誰か他人に決めてもらっているのです。
それは管理された社会です。

だからみんな、似たような生き方になります。
良い大学を出て良い会社に入って、お金をなるべく稼いで結婚して、家を建てて子供ができて…みたいな人生。
最近は、それができる人も少なくなってきたのかもしれません。
それで疑問を持つ人も増えてきました。
時代は変わりつつあります。

毎日の生活、大きく言えば、それぞれの人生は、一人ひとりの才能が形となって顕れたものです。
才能とは、一人ひとりの差のことです。
同じ才能はひとつとしてありません。
それが形になった生活、人生も、同じものはひとつとしてありません。

才能を発揮することが、100%の人生ということです。
それぞれにできること、できないことは違うのです。
それぞれが才能を発揮して、そんな人たちの集まった社会なら当然、できること、できないことを持ち寄った素晴らしい社会になります。
それだけのことです。
そのときみんなは、生きているだけで社会貢献していて、世界とつながっています。
そんな実感があるのなら、きっと寂しいなんて感覚は忘れているでしょう。

で、最初の話、100%の人生なんて言い方は好きじゃない、実はみんな、すでに100%だからって話に繋がるのですが、朝の時間がなくなっちゃったので、続きはまた明日にします。
タイトルにも書いちゃった、むらも的霊感商法という話もまた明日。

奥のほう、稲がええ感じに倒れております!
いい記事と思ったらシェア!
  • URLをコピーしました!
目次