僕らはジグソーパズルのピースみたいなものです。
同じピースは一つもありません。
たくさんのピースが集まって、世界という全体が完成します。
ピースの凸凹は、その人その人の、できること、できないことです。
言わば、それぞれの才能です。
ジグソーパズルの世界の中で、自分のはまる場所は一カ所だけ。
ピースの形が全員、みんな違うからです。
みんなが、ピタッと自分の位置にはまったとき、世界はみんなの才能を持ち寄って、素晴らしいものになっています。
だけど、素晴らしい世界にするために何かしないといけない事は実はありません。
世界がもともと、そうなんです。
生きているだけで、他者貢献、社会に貢献しています。
友達がいなくても、家族がいなくても、パートナーがいなくても寂しいとは感じないでしょう。
僕らは社会の一員であって、常につながっているからです。
だけど、現代のほとんどの人は、自分のピースの凸凹を削ってしまいました。
できることの才能を伸ばさず、できないことを一生懸命に頑張っています。
そういう教育をずっと受けてきたからです。
凸凹が四角くなってしまっています。
それだとみんな、同じ形になっちゃいます。
自分のピースがどこにハマるかも全くわかりません。
みんなで作るジグソーパズルも隙間だらけ、スカスカです。
僕らは、自分のピースの凸凹を思い出す、凸凹状態に戻る必要があります。
それは、自分の才能を自分で認識するということです。
でも、これがなかなかできません。
自分のことを俯瞰して、自分で見るってなかなか難しいのです。
才能というのは、誰かにはできないけど、自分にはなぜだかよくわからないけどできる、ということです。
例えば、背が高いということです。
周りの人と比べて、背が高いわけです。
それは、なぜだかわからないけど、背が高いのです。
誰かに教えてもらったこともないし、練習したこともありません。
才能とはそういうことです。
そして、背の高い人は、高いところにあるものを取れたりして、それが他者貢献になります。
まれに、とんでもない才能の持ち主もいます。
ギターを練習もせずに弾けちゃうみたいな。
それはすごい才能です。
世の中で、才能と言うと、そういう風なものばかりに目がいきがちです。
だけど逆に、練習して練習して練習しまくって、ギターが弾けるようになる人もいます。
そういう人はギターの才能がないのでしょうか。
いえ、そんな事はありません。
毎日毎日練習する、それが才能です。
なぜなら、毎日ずっと練習を続けることは、誰かに教わったのでしょうか。
そして、ギターを毎日続けること自体を練習したことも、おそらくないでしょう。
でも、できるんです。
教わったこともなく、練習したこともなく、みんなができないギターの練習をずっと続ける、ということができるのです。
それが才能です。
才能のない人はいません。
この世界はみんなのそれぞれの才能でできています。
この世界はジグソーパズルです。
だけど、自分にはそんな才能なんてあるんだろうか、そう思う人が多いのです。
そういう人が自分の才能を発見するヒントをお教えしましょう。
例えば、ある先生になにかを習っているとします。
それで、先生と話したり、教わっている状況を思い出してほしいのです。
その時にこんなことを思ったことありませんか。
「この先生、いろんなことができるし、知っててすごいけど、〇〇なところがちょっとなぁ…」と。
そんなふうに、先生の残念なところが見えちゃったり、感じたりすることはありませんか。
それです。
それがヒントです。
例えば、その先生は、他人に気を使えない人だとします。
あなたから見ると、それは残念ポイントです。
それは言い換えれば、先生にはできないけど、あなたにはできるということです。
先生は他人に気を使えないけど、あなたはそれを先生よりかはできるはずです。
残念ポイントとして認識できるのが、その証拠です。
そして、あなたは他人に気を使えるということを、誰かに教わって身に付けたのでしょうか?
他人に気を使うということを、今まで練習したことがありますか?
おそらくそんな事はないでしょう。
教わったことも練習したこともないのに、それができるのです。
そういうのを才能と言うのです。
ギターを教わったこともない、練習したこともない人がギターを弾ける。
それと何が違うのでしょうか。
それを才能と言うのです。
いやいや、他人に気を使えるなんて、当たり前じゃん。
そんなの才能でも何でもない、と思うかもしれません。
自分の才能は、なかなか自分でそうと認められないのです。
できることが当たり前すぎて、興味すら持てないのです。
それは好きですらありません。
ワクワクもしません。
でも、それは才能です。
誰かにはできなくて、あなたにはできることなんです。
教わったこともなく練習した覚えもないけど、なぜだかできるんです。
そういうのを才能と言わずに、なんと言えば良いのでしょうか。
そういう才能をみんな、たくさんたくさん持っています。
たくさんたくさんありますから、一つずつ探して、自分で興味を持ってください。
そんなこと、自分にとって当たり前すぎて、興味すら持てないかもしれませんけども、それにスポットライトを当てられるのは自分だけなのです。
見つかった才能に、夢や希望があるかは「わかりません」。
それが好きなことで、ワクワクするようなことかも「わかりません」。
自己啓発書なんかでは、好きなことだけやりなさいとか、ワクワクするようなことだけやりなさいとか、そんな言葉が飛び交いますが、それは半分嘘です。
初めはそれでいいのですが、そのうちにちょっと気づく必要があるでしょう。
