辞書をつくっているような感じ

毎日毎日文章を書いてますと、なんだか辞書でも作っているんじゃないか、という気分になってきます。
今はまだこの世に存在しないものを説明しようと思うと、そうなっちゃうのです。
新しいものや概念には、今までにない新しい言葉があったりします。
あるいは今までも使われていた言葉の意味が変わって、新しいものや概念に使われることもあります。
とにかく、新しいもの、みんなの知らない概念を表現するには、言葉が必要なのです。

だけど、新しい言葉を適当に作って、こういう名前をつけました、っていうだけでは誰にも伝わりません。
ただの独りよがり、それは自分にしかわからない言葉です。
その言葉の意味を説明する必要があります。
その説明は、今までの言葉、古い言葉とでも言いましょうか、それを使って説明されます。
僕が何か新しいことを思いついたなら、そのことをまだ知らない相手の使う「古い言葉」でもって、まだこの世にない新しいことを説明する必要があります。
要は、相手の知っている言葉でしか説明はできないということです。
だけど、言葉は人それぞれに感じる意味が違うのです。
辞書に言葉の意味は、実は載っていないのです。

これが非常に骨の折れる作業なんです。
それを毎日毎日、修行のようにやっています。
気分は全くもって、ザ・修行です。
こんなことする必要あるのか、みたいな気分になってきます。

朝一番で頭をひねって絞り出します。
絞り出さなくてもどんどん出てくる日もありますが、どうにか自分を奮い立たせて書き始める日もあります。
書き始めてしばらくすると、頭が動き出す感じがします。
前の晩寝るのが遅かった日とかはなかなか動きません。
だから、夜に予定を入れるのって、あんまり好きじゃありません。
僕には一般的な、あれもしたい、これもしたいみたいなのはほとんどなくて、毎日淡々と過ごせればそれで良いのです。
特別にしたいことって、あんまりないのです。

マ〜こうやって文章を書いたり何かを説明したり、これが自分のしたいことなのかと、自分に聞いてみてもよくわかりませんけど。
だけど、毎日やっています。
自分にはそれができるから、という感じです。
たぶん普通はこんなことできなくて、それは僕の持っている才能の一つなんです。

才能を発揮することはさぞ楽しいでしょう、なんて思う人もいるでしょうが、そんなこともありません。
いや、楽しいと言えば、もちろん楽しいのですが、楽しいとか楽しくないとか、そういう概念と密接に結びついているかと言うと、そうでもないと言うか。
それとこれとは関係ない気がします。

だけど、僕はこれを続けるでしょう。
こんな恥ずかしい文章を書き続けるでしょう。
それがなぜだか、自分でもよくわかりませんけども。
お金を稼げるわけでもありませんから、お金至上主義のおじさんから見たら無駄なことに映るでしょう。
まぁ、文章を書く練習にはなってるな、なんて思うこともあります。

これが自分のやるべきことなんだろう、という気分になる時もあります。
わかりませんけども。
宇宙がそう望んでいる、そういう役割を与えている、なんて表現する人もいるかもしれません。
それもわかりませんけども。

そう言えば、辞書をつくっているような気分になるという話でした。
そのことはまた、次回かそのうち書きましょう。

今年もハザ干しています!
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