本当のことを知りたい

最近、いつも書いている系の話。
こういうのを哲学というのでしょうか。
だけど僕には、哲学というものが何なのか、よくわからないのです。
いわゆる哲学について、勉強したこともありませんし。
と言いつつ、哲学という言葉を使うんですが。

僕は、本当のことが知りたいのです。
そう書くと、どんな印象でしょうか。
世の中は嘘ばっかりで、真実を探しているみたいな?
ニュースなんて信じずに、真のジャーナリズムを探しているみたいな?
そんな感じに思うかもしれませんが、僕のニュアンスはちょっと違います。

本当のこと、それは真理と言ってもいいかもしれません。
真理はいつでも、どんな状況でも、時代が変わっても、人が変わっても、国や文化が変わっても、いついかなる時にも正しいということです。
それが「本当のこと」です。
僕が知りたいのはそういうことです。

極論ですが、人を殺してはいけないというのは本当でしょうか?
ちなみに僕は、人を殺してはいけないと思っています。
そうは思っているけども「人を殺してはいけない」は、やっぱり本当なのだろうか、ということです。
いついかなる時も、時代や状況や国や文化や、あらゆることが変わったとしても、それは本当だろうかということです。
過去の歴史を振り返れば、たくさんの人を殺すことによって英雄になった、みたいな事はたくさんあります。
「人を殺してはいけない」は、時代や状況によって変わってしまうのです。

ただし、僕は人を殺してはいけないと「思って」います。
これが観念です。
それは主義、主張、常識、普通、正義、倫理、思い込み、こだわり…。
いろんな言葉で表現されて、人それぞれが無数に持っています。
生きている間、僕らはずっと自身の観念に照らし合わせて、目の前の物事を判断しています。
その判断は、自動的にほぼ無意識に行われています。
その無意識の判断の積み重ねが人生です。

観念が枝葉のような末端部分だとすると、本当の事は根っこです。
世の中の多くの人は、この末端部分だけで生きています。
それぞれに持っている主義、主張を振りかざして、自分はこう思う、ということを信じています。
だから、議論はいつも平行線です。
それぞれの、自分はこう思う、の応酬だからです。
そして議論はそのうちに喧嘩になります。
自分はこう思う、を言い合っているだけでは、文字通り、話にならないのです。

末端や枝葉は「木を見て森を見ず」の木です。
ミクロと言い換えても良いでしょう。
逆に根っこは、木に対しての森です。
もっと離れれば、森は山となり、大陸となり、地球となり、宇宙となります。
マクロといっても良いでしょう。

僕が知りたいのはマクロの方です。
目の前の現実を、なるべく広い視野で遠くから俯瞰して見ていたいのです。
その方が間違いなさそうじゃないですか。

ミクロ、末端が観念で、マクロ、根っこ、宇宙が本当のこと、なんて書くと、観念は嘘みたいに感じるかもしれません。
だけど、よく考えれば、どちらも同じものを見ています。
目の前の現実にぐっと近づいて見ているのか、それともすごく離れて見ているのか、それだけのことで、どちらも同じものを見ています。
顕微鏡で見るか、望遠鏡で見るか、ってことです。
そのどちらにしても、同じ目の前の宇宙を見ていますよね。
そう言われると、ちょっと不思議な感じがしますか?

色即是空、空即是色。
色はミクロで、空はマクロってことです。
だからその意味は、色は即ち空で、空は即ち色、ということです。
色も空も、どちらも同じもの、イコールだということです。
そこにはどちらが正しいとか間違っているとかないのです。

議論が噛み合わないとか、平行線だとか、喧嘩になるとか、そういうことにも正しいとか間違っているとかありません。
ただ、それを眺める位置の違いだけです。

で、結局、本当のことって一体何なんでしょうか?
長い文章をわざわざ書いて、むらもさんは何が言いたいのでしょうか?
本当の「本当のこと」は、矛盾も本当も嘘も全てを含んで、オールオーケーにしちゃうのです。
嘘も本当も全部ごちゃまぜ。
コインの表と裏が同時にあるような、そんな世界が、実はこの目の前の現実にあるのです。

なんだか、量子物理学の解説みたいな文章になってきました。
目の前の現実をとことん突き詰めていくと、そこには何もなくなってしまうのです。
でも、やっぱりそこには全てがあるのです。
まさに色即是空、空即是色です。

なんだか難しい話になってしまいました。
今日はこのくらいにします。
わけがわからないかもしれませんが、また気が向いたら読んでみてください。

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