僕が毎日書いているのは、僕に見えている未来をシェアしたいからです。
それは単なる理想論かもしれません。
だけど、どう考えたって、それが良いに決まっているのです。
未来の社会は、合理的で問題は非常に少なく低コストで回っています。
社会を構成する一人ひとりは、自身の才能を生かし、人生を存分に楽しむことができます。
人生の重要なミッションはただ一つです。
生まれてきた意味=自身の才能を認識して、それに没頭することです。
もちろん、生活のすべてをただ一つのことに捧げるわけではありません。
人生を存分に楽しみながら、それをすれば良いのです。
そして、才能は一つではありません。
強制されることも基本的にはありません。
誰かの役に立つのも良いでしょう。
誰かの役に立たないのも良いでしょう。
才能とはそういうものです。
自分が生まれたこの時代に、その才能が世の中から認められるかは全くわからないのです。
大谷選手が野球のない江戸時代に生まれていたらどうなっていたでしょうか。
役に立つ、立たないなど関係なく、一人ひとりには価値があるということです。
現代は、誰かの役に立つ人に価値がある、という常識がまかり通っています。
元を辿れば、それはオカネ教の教義に行き着くでしょう。
そんな常識は実はいらないんだ、と気づく人が増えた時、世界は1ミリずつ変わり始めます。
常識を疑うことをみんなしません。
もっと疑ったほうがいいです。
これは観念の話です。
未来に進むためには、観念をきちんと認識できる人が必要です。
観念マニアを育てるのです。
だから僕はそういうことに興味がありそうな人には、こんな話をちょっとずつしてみたりします。
でも、なかなか興味を持ってくれる人っていないのです。
だから、こんなインターネットの片隅で、文章にして書きまくっているんです。
本当は対面の方が伝えやすいのです。
僕の主張を僕の言葉で表現してもそれはなかなか伝わりませんから。
相手の言葉を使って、自分の主張を伝えるのです。
対面ならそれも可能ですが、こういう一方的な文章は、とにかく長い文章になってしまいます。
長い文章を読むのが苦じゃない、って人はいいのですが、それもまたハードルになってしまうのです。
哲学講座のようなものを定期的に開催したいと思っています。
どこか良い場所もあれば、ぜひご連絡ください。
ご興味ある方もご連絡ください。
良い未来、良い社会を作りたいと思ったら「良い」とは何かを考える必要があります。
今、「良い」と言うと、先にもあげた、例えば、誰かの役に立つのが価値があるというようなことです。
突き詰めれば、お金を稼ぐことに価値がある。
それが「良い」ということになっています。
世の中の良い悪い、善悪を測る物差しのほとんどがお金なのです。
今、自分が無意識に「良い」と思っていること、それはたくさん無数にあるわけですが、その一つ一つの裏には観念があります。
その無数の反応を一つずつ精査する必要があります。
その概念は、今の自分にとってまだ必要なのだろうかということです。
観念は常に過去にあります。
いつかのタイミングで拾ったものです。
それを精査しないまま、物事の良し悪しを判断する物差しとして使っています。
それも無意識のうちにです。
その無意識にスポットを当てるのです。
未来の世界とそんな細かい話、何の関係があるんですか、と思う人もいるでしょう。
だけど、未来はそれでしか作られません。
そうでないのなら、いくらすごいことが起こっても、何も変わりません。
未来はいつも過去と現在の延長にあるのです。
だけど、本当は未来には無限の可能性があるのです。
今、この瞬間にしなければならないこと、してはいけないことなど一つもありません。
だけど、これをするべきだ、これはしてはいけないということを、観念が決めているのです。
観念が、この瞬間の無限の可能性をぎゅーっと狭めます。
だから、普通は人生が何も変わらないのです。
まぁ、変わらないことが悪いことだとも思いませんけども。
社会というものは、どこかに存在するわけではありません。
人々の生活、生き方、人生を、遠くから俯瞰して眺めたとき、それを便宜上、社会と呼んでいるだけです。
社会とは、一人ひとりの生き方の集合体なのです。
今、この社会がこんなに問題だらけなのは、一人ひとりの生き方がそうだからです。
残念で残酷な話かもしれませんが、それが事実です。
でも、たった一人が生き方を変えたところで、一体何になるのか。
それもごもっともです。
世界は何も変わりません。
大河に一滴落として、何になるでしょうか?
それでも、それがしたいのです。
何もならないことはわかっているのです。
僕の生きてる間に、僕が未来を見る事はないでしょう。
でも、今、この素晴らしい時代だってそうなのです。
前の時代を生きたたくさんの先人が、この豊かな時代を作ったのです。
僕は特別ではありません。
この時代を生きるただのひとりです。