この世に悪い人がいる、そう主張する人がいます。
昔は僕もそう思っていましたから、その気持ちはよくわかります。
だけど、悪いとは一体何なのか考えるにつれ、そんな人この世にいるのか、というふうに変わっていきました。
僕が思うに、悪い人などこの世にいません。
それは、自分の中にあります。
この世に悪い人はいませんが、悪は自分の中にあります。
そう言われて、すぐに納得できる人は少ないでしょう。
だって、現にニュースでいろんな問題が取り上げられています。
世界に戦争を起こし、武器を売り、財を蓄え、自分に都合良くシステムを作ります。
この世界を管理する側とされる側に分けて、自分たちは管理する側に回ります。
悪い人はいないと言われても、ぴんとこないでしょう。
今、強欲に財を成している人の元をたどると、むかし大きな声を張り上げた人と言えるかもしれません。
日本で言えば、例えば豪族とか。
ここからここまでは俺の土地だと、声高に主張したような人です。
あるいは、戦後の焼け野原に紐を張って、ここは俺の土地だと主張した人もいるかもしれません。
所有するとは一体何でしょうか。
「これは自分のものだ」と、小さな子供もお気に入りのおもちゃをそう言ったりします。
だけど、所有することって本当にできるのでしょうか?
地面に線を引いても、それが一体何なのでしょうか?
他人の敷地内に現代人なら入らないかもしれませんが、動物や昆虫、植物は勝手に侵入します。
勝手に入らないのは、人間、それも現代人だけです。
所有は頭の中だけにあります。
ただのそういうルールというだけです。
実際には、物や地球が誰かのものという事はありません。
だけど、もしも今、地球上のあらゆる土地の所有権がなくなったらどうしますか?
せっかくだから、地面に線を引いて紐を張って、「この土地は俺のものだ」って主張しますか?
そんな強欲なことをするから、世界はわけのわからない問題だらけなのだ、と達観して、土地がどんどん誰かに取られていくのを眺めていられますか?
周りで誰かが「ここは俺のものだ」って主張し始めたら、きっと他の誰かも同じ声を上げ始めます。
それでも沈黙を貫けますか?
僕だったら、自分の生きていけるくらいの土地をもらっておこう、と思うかもしれませんね。
そして、ついでだからちょっと余分にもらっておこう、なんて思うかもしれません。
おかわり自由と言われたら、もう満足してるんだけど、おかわりしとこうかなぁ、なんて気分になることもあるのと同じことです。
そんな気持ちわかるでしょう。
そんな気持ちがわかるってことは、同じ気持ちがあなたの中にもあるってことです。
要は、自分を守りたいのです。
自分と、そして自分の大切な人を守りたいのです。
そんな気持ちもわかるでしょう。
あなたの中にもあるでしょう。
目の前に自分や周りの人を守れるかもしれない手段があるとして、それを手に取らないという選択は普通は取れないのです。
土地があれば、財産があれば、地位があれば、お金があれば、自分や大切な人を守れるかもしれないのです。
そして、それを手に入れるチャンスが目の前にやってきたら、きっとそれを手にするでしょう。
実際には、「いや、俺にはそんなもん必要ねーよ」と言える人もいるでしょう。
でも、そんな人にだって、誘惑に負ける人の気持ちはわかるはずです。
みんなの中にあるのです。
みんな、自分を守りたいのです。
それが欲の出発点です。
生きたい、死にたくないということです。
そんな気持ちを誰が否定できるでしょうか?
この世界を牛耳るような偉い人がいるとして、その人も僕らと同じ気持ちを持っているでしょう。
同じ人だからです。
みんな似たような行動原理で生きているのです。
彼らも、僕らも、ただの人です。
それ以上でも、それ以下でもありません。
そんなことを悪と表現するならば、それと全く同じものが全員の中にあります。
みんな同じなんです。
僕も、あなたも、どこかの偉い人も、みんな同じです。
