24時間はいつもびっちり

昨日は、農的な生活という、ちょっと不便を毎日の生活に取り入れると、いろんなメリットがある、という話でした。
ぜひ、農的な生活の導入をご検討ください、と。
でも、生活に新たな習慣を取り入れるって、なかなか大変です。
何せ僕たちは、いつも24時間のスケジュールがピッチリなのです。
何かを止めなければ、新しい習慣を根付かせることは難しいですね。

したいこと、したくないことを問わず、僕らの毎日、24時間はもう埋まっています。
ぼーっとしている時間が、積み立て貯金でもされるように溜まっていけば良いのですが、そんなことはありません。
ていうか、ぼーっとしている時間、重要ですし。
まぁとにかく、知らない間に24時間は過ぎて行きます。

やっぱり、自分で決めるということが重要でしょうか。
誰かに決めてもらうんじゃなくて、自分で決めるのです。
誰かとは、世の中のことです。
世の中の普通、常識やそんなもののことです。
それは、誰かに生き方を決めてもらってないですか、ということです。
誰かに決めてもらっているなら、みんな似たような毎日になっています。
もちろん、時代によって生活スタイルは似たようなものにはなります。
でも本当は、人それぞれにできること、できないことが違うのですから、生活もまた少しずつ違うものになるはずなんです。

そうは言っても、なかなか難しいですね。
生活はなかなか変えられません。
そういえば、僕がこの村に移住する前の2年ほどは、徹底的にいろんなことをやめて生活にゆとりを持たせる、ということをしていました。
毎日のスケジュールを、これでもかというくらいに見直して、自分に必要のない事は全部やめちゃったのです。
それは、いつでも新しいことを取り入れることのできる状態です。
山の方で住むところを探していたので、良い場所が見つかったら、すぐに移住できるように準備だけは整えてあったのです。

自分にとっていらないものを手放す、いらないスケジュールはやめちゃう、ってのはオススメですね。
要は、断捨離です。
断捨離に関しては、僕はいつも思うところがあります。
あれって、ものやスケジュールを減らすことを目的とはしていないのです。
それが自分にとって必要かどうかを、自分で決めるための練習なのです。
みんな、常に誰かに決めてもらっているからです。
とにかく、自分で決めるのです。
誰かには過去の自分も含まれています。
ついでに、未来の自分像が今の自分に必要かどうかも考えてみてください。
そんなふうに、全てを自分で決めるための練習なんです。

という感じで、今日は散文でした。
失礼しました。

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