いつも観念、観念、うるさい僕であります。
最近、ネットで見た記事が面白かったのでシェアします。
何年か前に『「山奥ニート」やってます。』という本を書いた、石井あらたさんの記事。
社会人になって、いわゆるニートだったのですが、山奥の保育所(だったかな?)を改築した建物に住むことになり、全然お金をかけずに生きていけるようになったのです。
その後、だんだんと働きたくない〜みたいな人が集まって、ゆるく共同生活してるって本でした。
今は結婚して子供ができて山奥を離れ、名古屋に住んでいるそうです。
僕は、石井あらたさん、結構好きなんですよ。
良い意味でこだわりがない感じが。
石井あらたさん、たぶん昔は普通にこだわりだらけだったと思うのです。
だって、いろいろうまくできなかったり、うまくいかなかったりして、ニートになっちゃったくらいですから。
それは裏を返せば、こう生きるべき、という「普通」にとらわれていたわけです。
そういうこだわりがあったからこそ、それが達成できなくて、悩んだのです。
それが山奥生活を続ける中で、それは瑣末なことだと、こだわりが解けてなくなり、問題そのものが消えちゃったんじゃないかと。
僕はそんなふうに想像しています。
山奥で金をかけずに生活するなんて聞くと、一体どんな人物なのかって思うでしょう。
でも、彼らはすごく普通なのです。
そして、いわゆる立派な思想とかないのです。
それがすごくいいんです。
「こうあらねばならん」が増えれば増えるほど、不自由になるのですから。
記事の中で、山暮らしでも都会でもどこでも生きていけるかな、という心境に変化したと書かれています。
ほんと、その通りだと思います。
どっちでもいいのです。
どうせ、メリットやデメリットは、どちらにもあるのです。
それは住む場所ということに限らず、何でもそうですよね。
だから、あんまりこだわらないことがよろしいんじゃないか、と思うわけです。
ただ、真面目な人はそう聞くと「こだわりを捨てればならん」とか、鼻息荒くなっちゃったりするのです。
いやいや、それがこだわりなんです。
こだわりを捨てねばならん、こだわりは少ないほうが偉いんだ、というこだわりを、新たに拾っちゃうわけです。
まぁ、どこまでいっても、ずっとこだわりですから、どこかで諦めてもらうしかありません。
観念せいやってことです。
また、いつもの観念の話になっちゃいました。
僕は、よっぽど観念マニアなんでしょうね。
石井あらたさんの本、面白いので機会があれば読んでみてください。
YouTubeなんかでも話題になってました。
リンク貼っときますので、ぜひどうぞ。
いろいろリンクどうぞ
https://www.sankei.com/article/20240928-RTV7QFP5ZVCBJK2S3DVRZE24NU
産経新聞:元祖「山奥ニート」が都会の生活に戻った理由 変化した仕事観「どうとでも生きていける」