素晴らしい未来の社会があるとして、その景色をシェアできたなら、どんなに良いでしょうか。
タイムマシンでそんな未来に行って、しばらく生活を体験して戻ってきたら、現代の社会をどんなふうに感じ、生き方はどう変わるでしょうか。
素晴らしい未来の社会があるとして、それを実現するものは何だと思いますか。
いろんな意見があるでしょうが、それを実現するのはシステムやルールではない、というのが僕の主張です。
システムやルールも、時代が移行する中で役割を果たすでしょう。
でも、最終的に社会のあり方を決めているのは、一人ひとりの生き方です。
素晴らしい未来の社会は、ピラミッドの形をしていません。
それに対して、今は世の中の全てが大小様々のピラミッドで構成されています。
社会全体もそうですし、国も自治体も、会社同士も銀行の序列も、そうです。
会社の中身ももちろんピラミッドです。
社長がいて管理職がいて、同期内にも、部署内にもピラミッドが見えます。
会社帰りに一杯飲みに行っても、ピラミッドを感じるでしょう。
大人の世界がそんな調子ですから、子供の世界だって当然そう、学校がピラミッドです。
クラス内も当然そう、職員室もそうですから、公園の砂場にももしかしたらあるかもしれません。
何なら、家庭内にもそういう部分があるかもしれませんね。
僕らは大小様々なピラミッドの中にいます。
生まれてこの方、ずっとピラミッドの中で生活しています。
逆に言えば、それしか知らないくらいかもしれません。
だから、完全に、そんな生き方の癖がついているのです。
そんな癖を持っていることに気がつけると良いのですが、これがなかなか気づけません。
その癖は、思考の隅々にまで行き渡っています。
僕らの生き方に深く染みついて、なかなか取れません。
そんな癖、ピラミッドの中の生き方がなくなった未来の社会はどんな感じでしょうか?
ぜひ想像してみてください。
そこには管理する人も、される人もいません。
なぜそんな人がいないのか。
管理する必要を感じないからです。
今は管理する必要があると、みんながそう思い込んでいるのです。
そして、管理される側も、それが当然であると。
管理してもらわないと困る、と。
そういう感覚がなくなった未来は、どんな風だと思いますか?
社会とは一体何でしょうか。
いつも書いていますが、社会というものは、どこかに存在するわけではありません。
人々の生活、生き方、それぞれの人生を遠くから眺めたものを便宜上、社会と呼んでいるだけです。
たくさんの人の人生を集めたものを、そう呼んでいるのです。
それを形作っているのはルールです。
法律や文化や常識です。
だけど、実際に社会を作っているのは、一人ひとりのそれぞれの生き方です。
ピラミッド型のルールがあって、「そのルールに従って生きる人々の群れ」を遠くから眺めた時、ピラミッド型の社会が浮かび上がっているのです。
僕はルールを破れとか、常識や文化は必要ない、なんてことを言うつもりは全くありません。
ルールは守ったほうがいいですし、常識や文化は少しだけ疑ってみるくらいでちょうどいいと思います。
社会のシステムももちろん必要です。
だけど、この社会を本当に作っている社会の元は何か、ということを考えてほしいのです。
それはやはり、どこまでいっても一人ひとりの生き方です。
一人ひとりの生き方が集まって、社会を作ります。
素晴らしい未来の社会があるとして、それを作るのは何か。
もうお分かりでしょう。
僕らの生き方です。
未来を変えたいなら、それを変えるのです。
それ以外に、本当の意味でできる事はありません。

こういう時間に街中にいるのは久しぶりでした、パチリ。