ピラミッドを抜ける① 序章

少しずつピラミッドを抜けましょう。
少しずつです。
少しずつがお勧めです。
長年、どっぷりとピラミッドの中で生きてきたのですから、そう簡単には抜けられません。
そして、まだそんなことに気づく人も少ないですから、実際に実行するハードルは高いです。
ちょっと変わった人になるのは間違いないですし、そのためのノウハウも世の中に蓄積されていません。
そんなスキルを普通は持っていないのです。

実はこのブログでも、僕の本でも、そういうピラミッドから抜けるということを手を替え品を替え、ずっと表現しています。
まずはお金のことがわかりやすいでしょうか。
僕たちの価値基準、判断基準のほとんどが、お金という物差しによるものであると気づくことは非常に重要です。
そして、割と気づきやすいかもしれません。

「普段は何をされているんですか」と聞かれれば、普段何をしてお金を稼いでいるのですか、ということです。
「こっちのやり方の方がいいですよ」と言われれば、その方がお金が儲かる、あるいは節約できる、ということです。
「お前、来月からどうするんだ?」というのは、来月からお金をどう稼ぐのか、ということです。
そんなふうに、毎日の生活の判断基準のほとんどはお金です。
右か左か、迷ったらお金に聞いているのです。

生まれてこの方ずっと、僕らはオカネ教に入信しています。
だけど、入信していることにすら気づいていません。
なぜなら、世界中の人がそうだからです。
両親も、隣のおじさんも、学校の先生も、会社の上司も、友達も、いとこも、みんなオカネ教ですから。
その教義に疑問を持ち脱退する、なんて言い始めたら、止められ説得され、怒られ否定され…。
ま、そうなります。
みんなそれを信じているのです。
だから、自身の生き方を変えるのは、ゆっくり、少しずつをお勧めします。
何年もかけて、少しずつ変わっていくのです。
急に変えちゃうと、みんなびっくりして心配しますから。
何年もかければ、大抵の人は「ちょっと変わった人だね」とそのうち認識して納得してくれるでしょう、たぶん。

まずは自分がそんなオカネ教に入信していることに気づくことです。
生活の、人生の判断基準の多くがお金によるものだと気づくことです。
いつもお金という神様のお告げを聞いていることに気づくことです。
お金さえあれば、何でもできるって、心のどこかで、そう思っている自分を観察してみてください。

そんなことに気づき始めたら、支出と収入のことを考えてみましょう。
支出と収入はこれくらいが普通であるとか、多ければ多い方が偉いとか思っているようなら、それがオカネ教です。
ちょっと考えてみてください。
続きはまた次回にしましょう。
しばらく、こういうことを連載しましょうかね。
ちなみに、僕の本にそういうことを書いてますので、読んでみてください。

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