ピラミッドを抜ける③ ピラミッドの先、未来の社会

前回は、支出と収入について書きました。
支出を減らす努力、倹約や節約、我慢をする必要はないということ。
むしろ、それをしてはいけません。
自分で決めていない、ということに気づいて、少しずつ自分で決めていくという話でした。
自分で決めさえすれば、普通は支出は下がっていきます。
収入の額も、その支出に合わせて自分で決めることが可能になっていきます。
とにかく、自分で決めるということが肝です。
自分で決める練習だと思って、ゆっくりボチボチやってみてください。

さて、今日はピラミッドの形をしていない、未来の社会というものについてです。
それはまだ現実に存在しないものですから、夢物語や理想論に聞こえるでしょう。
想像することさえ難しいかもしれません。
文章でそれを表現することも、大変なことではあります。

ピラミッドの社会の大きな特徴は、管理する人とされる人がいるということです。
会社に管理職なんて人がいますね。
部下を管理するわけです。
逆に部下は管理されています。
でも、管理職にしたって、もっと偉い社長なんかに管理されています。
でも、社長にしても銀行に管理されていたり、親会社に管理されていたり、どこまで行っても管理したりされたりが続きます。
それは大小様々なピラミッドです。
この世のあらゆる場所に、ピラミッドの影が見えます。
生まれてこの方、僕たちはずっとピラミッドの中にいます。

なぜ、みんな他人を管理しようと思うのでしょうか?
それは、そうしないといけないと思っているからです。
そういう観念を持っている、持たされているからです。
同じように管理されなくちゃいけない、管理してほしい、みたいなことも思い込んでいます。
それで管理したり、されたりになっているわけです。
要は、自分で決めたくないのです。
誰かに決めて欲しいのです。

今、ピラミッドの社会からイチ抜けたと、出ちゃおうと思ったら、そこにはもしかしたら恐怖心があるかもしれません。
だだっ広い、何もない平原に一人ポツンと、ここで生きていくんだ、みたいな感覚、孤独。
今はまだピラミッドから抜けるようなんて思う人も少ないですし、実際にそれを実行する人となるとほとんどいませんから。
賑やかな展示会で、うちのブースだけ全然人気がないみたいな感じ?
まぁ、今のところは仕方ないのです。
管理社会から出るということは、「全部」自分で決めるということで、そこまで思える人はあまりいません。

今はまだ、ピラミッドを抜けた先のことについての知見もノウハウも溜まっていないのです。
みんな手探りで、しかもそんな人、まだほとんどいない。
自分のできることをやるしかないのです。

なんだか難しい話になってしまいました。
でも、残念ながら今のところはそんな感じですね。
時代が追いついていないのですから。
だから、ゆっくりやってください。
僕はなんとなく先に行ってる感が出てるかもしれませんが、大した事はありませんし、なんてったって僕は変人なのです。

未来の社会、ピラミッドのない世界は素晴らしい世界です。
それがはっきりと見えちゃったら、もう僕なんかやるっきゃないのです。

未来に待っているのは、みんなが才能を発揮する世界です。
才能というと、大げさに聞こえるかもしれません。
才能を発揮して、社会的に成功したり、名声を得たり、みたいなことを思うでしょうか。
僕の言う才能は、そういう感じとは違います。
才能とは一人ひとりの差のことです。
この世に同じ人は一人もいないそうです。
確かめたことがないのでよくわかりませんけども、きっとそうなんでしょう。
だとしたら、一人ひとりには必ず差があります。
その差のことを才能と呼んでいます。

そんなちっぽけな、と思うかもしれません。
だけど、これが未来の社会では重要になります。
才能とは、言い換えれば、それぞれのできること、できないことのことです。
誰にでも得手不得手がありますね。
それのことです。
このそれぞれの得手、不得手を組み合わせる世界なのです。

それはジグソーパズルのような世界です。
僕らはパズルのピースです。
同じ形のピースは1つもありません。
ピースには凸凹があって、それがそれぞれのできること、できないことなのです。
みんなが然るべき場所にはまったとき、パズルが完成したとき、この世界は勝手に超合理的に回り始めます。
管理する必要も、される必要もありません。
みんなが自分のできること=才能を発揮しています。
動物や植物や微生物の世界を見てください。
みんながそれぞれのできることをして、世界は何の無駄もなく回っています。

だけど、人間にはそんな動物みたいなことはできません。
観念という思い込みを持っているからです。
他人や過去の自分による観念に基づいて生きているからです。
自分のピースの凸凹がわからなくなっちゃっているのです。

「そんなことやって何になる?」「あなた、そんなことばかりしていないで」と言われて、凸を削ってしまいました。
得意でもないのに、学校の勉強させられて、凹があるのはいけないことだと思ってしまいました。
そう教育されてきたのです。
まずは、そんなふうになってしまった自分に気づくところからスタートしないといけません。

常識や普通を少し疑ってみてください。
ただし、その矛先は、それを信じちゃっている自分です。
世の中を疑うのではありません。
常識や普通を無意識に信じている自分を観察するのです。
自分が持っている観念を探るのです。

そんなことに気づく人が増え、ピラミッドの中にいる必要もないと思う人が増え、この世のピラミッドは少しずつ薄くなっていきます。
この世をピラミッドにしているのは、そこにあるルールやシステムではありません。
社会を作っているのは人です。
この世をピラミッドだと思って生きている人々の群れを遠くから眺めたときに、ピラミッドの形が浮かび上がっているだけです。

念のため書きますが、ルールを破れとか、システムを無視しろとか、そんなことを言うつもりは全くありません。
ルールは守ったほうがいいでしょう。
もし、この文章を読んでそういうことを想像するなら、全然違っています。

ピラミッドから抜ける人が増えたとき、その世界は助け合いの世界になります。
みんなが自分のできることをしているのだから、当然そうなります。
自分にはできないことを、誰かのできることが埋めてくれるのです。
今はそんな生き方をしている人が非常に少ないから、孤軍奮闘みたいになっていますけど。
まぁ、まだ仕方ありません。

僕の見えている未来の社会、少し伝わりましたか?
才能を発揮する人生は素晴らしいものです。
それが楽しいかどうかは分かりませんけども。
そういう感じでもなくなっちゃうかもしれません。
幸せも不幸せもないというか。
動物たちは毎日、自分にできることをして生きています。
それは間違いなく才能を発揮した生き方なんですが、動物たちは楽しい!ハッピー!最高〜!、みたいな感じでしょうか。
どう思いますか?
そういうこともヒントになるかもしれませんね。

さて、次回はどうしましょう。
抽象的な話が続きましたので、少し今の現実に沿った話をしましょう。
自分の才能を生かして生きていくにしても、今の世の中では、まだまだお金がいるのです。
いくら支出が減ったところで、支出ゼロにはなりませんから、少しは稼ぐ必要があります。
僕、そういうの苦手なんですけどね。
次回はそんな話にします。

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