前回もだいぶ書きました。
断捨離についてです。
そう言えば、僕は断捨離のトレーナーでも何でもありません。
ただの断捨離好きユーザであります。
話半分くらいで、読み流してくださいませ。
だけども、身の回りのものを通じて、自身の観念を眺める、というのが肝なのは間違いないと思いますね。
自身の観念と向き合うことをせずに、ものだけを減らしても別に構いませんけども。
生活はすっきりして快適になるでしょう。
でも、そこで終わりです。
それに、ものを取捨選択するための新たな感情物差しが必要になってきます。
例えば、ワクワクするかどうかで判断する、みたいな。
それも良いのですが、ワクワクしないものって本当に価値がないのでしょうか。
それは、本当に本当でしょうか。
やっぱり、自分で決めることが重要だと思うのです。
ワクワクしないものは捨てて良いと言われて、それを疑わず、それを信じている自分を観察してください。
かなり難しいことを言っています。
初めはそれでも良いのです。
でも、それだけでは、もっと奥まで行けません。
生活が快適になって終わりなのです。
それも悪くありませんけども。
さて、むらも的断捨離も急に応用編・上級編になってしまいました。
今日の話を読んで、訳がわかりませんと感じたら、一旦忘れてもらったほうがいいでしょう。
今日はボス級のいろいろを扱いますから、実際にやったとしたら返り討ちに会う可能性が高いです。
断捨離なんて使えない、というもったいない観念を拾うことになりかねません。
今日扱うのは見えないもの、つまり「こと」です。
これまでは身の回りの「もの」について考えてきました。
身の回りにある「もの」には、必ずそれがそこにある理由があります。
その理由は、自分の持っている観念につながっています。
自分の周りに見える「もの」と自分の中の見えない「観念」をリンクさせてきたのです。
次は、自分が持っているけども見えない「こと」と、自身の観念をつなげていきます。
ここからは、全部見えない世界のことです。
と言っても、神秘的な話でも何でもありません。
人間関係やスケジュール、毎日の生活、自身のアイデンティティー、人生などなど。
形は無いけども、自分にくっついて回っているもろもろです。
「こと」への対応と「もの」への対応は全く同じです。
だから、ここから先、具体的なやり方や考え方などは特に書きません。
だけど、「こと」を断捨離するのは「物」を断捨離するよりも、はるかに影響が大きいのです。
中途半端にやっては危険です。
自身の観念と徹底的に向き合って「物」の断捨離をやり続けたとき、「こと」の断捨離はその延長に必ず現れます。
例えば、人間関係を断捨離する、なんて聞いたらどう思いますか?
そんなひどいこと、冷たい人、それじゃまともに生きていけないよ、そのうちバチが当たる…。
いろんな意見があるでしょう。
スケジュールを断捨離する、とかどうですか?
引きこもりかニートにでもなるつもりですか、ともとれるかもしれません。
人生を断捨離する?
自死を選ぶとか、絶対に言わないでください。
即身仏など、ただのカルトです。
そういうことなんです。
それは究極の命題すら自分で決めるのです。
ただの修行です。
普通の人におすすめできるわけがありません。
そんなことをするのは、ただの変人です。
あらゆるすべてを自分で決めるのです。
そりゃあ、変人になりますよ。
表面上は「普通」に見えても、中身は「普通」と全く関係ないのです。
どれくらい世の中の普通とバランスを取るかも本人次第、すべては自由です。
もしもそういうことに興味があったら、まずは自分の周りの「もの」と徹底的に向き合ってください。
自分の持っている観念をずっと観察してください。
その先におのずと道はあります。
そこは自分でしか辿れない道です。
ガイドはありません。
だけど、その時になれば、自分でちゃんとわかるはずです。
ぜひ、楽しみにしてください。
シリーズ「むらも的断捨離」終わり。
