ワクワクについて、誰かにとって不都合な真実

昨日からのちょっと続きです。
自分の持っている観念に気づいて、その観念が要るか要らないかを自分で決めたとき、思考も判断もおのずと変わっていきます。
自分の観念をベースにして、毎日大量の思考や判断をしているからです。
その結果、生き方や人生は、勝手に、自然に、自動的に変わっていきます。
そんな話でした。

そして、少しずつ観念にとらわれない生き方に変化していくと、大抵の人は自分の好きなことを始めてしまいます。
勝手に、自然とそうなります。
そうならないように変化を止めていたのが観念だからです。
オートマ車みたいに、ブレーキを離せばゆっくり動き出すのです。

なんだかワクワクしますね。
楽しそうですね。
もちろん、楽しいことだけではありません。
初めは楽しいだけかもしれませんけども。
でも、何事も長く続けるなら、それだけってことはありません。
それでもそれをやり続ける、その感じ。
なんと言ったらいいか、続けることを無条件に良い、と言ってるわけではないのです。
世の中には、何事にも一流と呼ばれる飛び抜けた人がいますが、何十年も道を極めて、それがずっと楽しいんですと言う人は稀です。
そんな感じです。

そう思うと、世間で言う「ワクワクすることをしなさい」みたいな話ってどういうことでしょうか?
それは入り口としては素晴らしいのです。
なぜなら、みんな我慢してきたからです。
自分がワクワクすることよりもしなければいけないことがあると、そう思い込んで生きてきて、ずっと我慢してきたのです。
だから、考えただけでワクワクすることを実際にやったら楽しいに決まっています。
そんなの当たり前です。
僕の言ってるのはそこじゃないのです。

まぁ、難しいことは考えずにワクワクすることを片っ端からやってみたら良いのかもしれません。
ワクワクすることはたくさんあるかもしれませんが、その中には「そう思わされてきた」というのも含まれているでしょう。
ずっと我慢してきたことを定年になってから全部やるとか、よく聞きます。
でも、なんとなく「満たされない」感じ。
こんなことをいつかできたら満たされるはずだと思いながら、ずっと我慢してきた末に、ついにそれを実行したのに、何かが足りない。
そんなこと、よくありそうじゃないですか。

ワクワクすること、ここでは「夢」と言い換えてもいいかもしれません。
それはどこから来たのでしょうか?
誰かに「夢を持ちなさい」と、そう教えられたのでしょうか?
「あなたの知らないこんな夢、あんな夢たくさんありますよ」とCMを何度も何度も見てしまったのでしょうか?

資本主義の社会では、夢を売り続ける必要があります。
しかも、右肩上がりの無限の成長を求められるのです。
去年よりも成長しないと、株主が怒るのです。
だから、あの手この手で夢を見させます。
「こんなこと実現したら素敵だね」と思わせます。
そんな商売をしてるのはプロで、こちらは素人です。
勝敗は目に見えています。

ブッダ、ゴータマ・シッダールタという人は、ある国の王子として生まれました。
20歳過ぎまでありとあらゆる夢を叶えましたが、どこか満たされませんでした。
その後、妻も子供も置いて1人出て行くのです。
それは、満たされない気持ちの正体を探す旅だったのかもしれません。

それって、現代人と似てる感じがするのです。
僕らと同じじゃないでしょうか?
ありとあらゆる夢を叶えても、どこか満たされないのだとしたら…。
だから、ワクワクすることの正体をよくよく見る必要があると思うのです。
そうでないと、ずっと同じ繰り返しです。

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