本質ってなんですか?

昨日の微妙に続きです。
自分とは何か、なんて考えるのはなぜだろうか、と自問自答します。
多分それは、いわゆる本質というやつだからです。
ただ、僕はこの「本質」という言葉、あんまり使いたくないのです。
本質という言葉を使った瞬間、この世界に「本質じゃないこと」を生み出してしまうからです。
言うなれば、この世のすべては本質であるのに、あたかもそうでないように、「本質」という言葉で分断を生んでしまうのです。

ある話を「本質である」と仮定します。
そうすると、他の話は「本質じゃないよ」ということになります。
本質じゃないとレッテルを貼られたほうは、なんだか嫌な感じがしますね。
そもそも、何が本質かなんて考えることをしなければ、そんな分断を生むこともなかったかもしれません。
でも、僕はそういうことを考えてしまうのです。
仕方ないのです。

「考える」ということは、本質に潜っていくことです。
でも、潜れば潜るほど、この世界に分断など、もとから無いことに気づきます。
だけど、僕らから見えるこの世界は分断だらけです。
その分断を作るのが観念です。
そして、言葉が観念の要因になったりもするわけです。

「考える」と「思う」は違います。
ほとんどの人は「考える」ということをしたことがありません。
考えているつもりで、思っているだけなのです。
観念というものに気づいていなければ、考えることは多分できません。
無数の観念の上で、あ〜でもない、こ〜でもないと「思っている」だけのことなんです。

考えるとは根っこに向かうことです。
本質に向かうことです。
その途中で必ず出くわす問題に、究極の3つの問い、と僕が呼んでいるものがあります。
幸せとは何か、生きている・死ぬとは何か、自分とは何か、という3つの問いです。
そういうこともまた書きましょうかね。
今日は、この辺にします。

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大根収穫、今から清水で洗います。
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