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朝晩がだいぶ冷えるようになりました。
朝イチでこの文章を書いていますが、それがだんだん億劫になります。
今日は11月になったばかりで、寒さはまだまだこれからですし。
あぁ、これからの季節のことを考えると、南の島にでも行きたくなります。
そんな妄想をする季節が、今年も近づいて参りました。

それでも、毎日文章を書くことはどうにか続けたいと思っています。
これからの季節は特に「めんどくさい」との戦いになるでしょう。
朝目が覚めて、布団を出て文章を書くか、自分と戦うのです。
戦う、なんて言うのは大袈裟ですけども、そこまでして続ける必要があるのか、とも思います。
そのたびに、やっぱりやるか、と決めることになるでしょう。

書く理由はいろいろあるのです。
頭がクリアになる感じとか、1日すっきりする気がする、書くことで新たな発見がある、考えが前に進む、などなど。
だけど、それらは結局、外的な要因と言いますか、おまけみたいなものです。

結局、自分が「そう決めている」ということです。
どうしてもやらなきゃいけない、なんてことがこの世の中にあるようには僕には思えません。
でも、それをやると自分で決めているということです。

かっこつけて言えば、自分との約束みたいな感じでしょうか。
あ、急に熱血漢な雰囲気になってきました。
常々、そう熱くならずに…、というのが信条なのですが。
まぁ、自分との約束を破っても、ペナルティは特にないのですけども。

プナンという、マレーシアの狩猟採集民の話を思い出します。
僕は彼らに実際に会ったことはありません。
だけど、本を読んだり話を聞いたりして、やっぱりそうかと思うことがあるんです。

彼らには、幸せである、という感じがどうも少ないようなのです。
もしかしたら、無いのかもしれません。
日々の生活がそこにあるだけ、という感じなんです。
どういう人生が幸せか、という基準がない、というか。
それに対して、僕らは幸せの基準だらけの世界を生きています。
毎日文章を書くんだと決めて、それを実際にやりきることが良いことだと思ったりしているわけです。
そういう小さくてどうでもよさそうなことも、僕らの中にある基準の一つです。

ま、どっちでもいいような気もするし、好きにしたらええ、ということですかね。
プナンは何も考えるまでもなく好きにしているようですが。
僕は考えて考えて考えまくって、ぐるぐると遠回りしてから、同じようになっているみたいです。

いくら考えても、1周回って同じところに帰ってくることを繰り返しています。
無駄なことをしている、と思われても仕方ないでしょうね。
確かにこの文章も、どこにも行かない駄文ではあります。
だけど、そう思う裏には、どこかに行かないといけない、結果がないなら意味がない、という観念が見え隠れします。
まぁ、それも悪くありませんけども。

もう、一体どっちなんですか、とか聞かないでください。
僕も答えは持ってないですから。
本当にどこにも行かない感じで、今日はこの辺でやめましょう。
いや〜お役立ち情報のない記事ですねぇ…。

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ミニ白菜、タイニーシュシュ。
僕の手が大きいのか、白菜が小さいのか。
どちらでしょう〜〜
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