最近、大西つねきさんの話をよく聞いています。
めっちゃ面白く、非常に興味深いのです。
僕は今まで、政治には全く興味がありませんでした。
前回も書いたように、究極的に議論というのは不毛なものだからです。
現代の社会に議論が必要なのは理解できますが、僕はそれに興味を持てないのです。
それで、大西さんが来年の参院選に比例で出るとのことなのです。
僕は応援しますよ。
なぜなら、大西さんは「考える」ことのできる人のように見えるからです。
普通はみんな、自分が正しいと思うことを主張しているだけです。
そして、それが当たり前だと思っています。
その結果がこの世界です。
それぞれの観念のコレクション、思惑のかたまりを、体裁を整えて披露しているだけです。
それでは、不毛なのです。
自分が正しいと思うことを言い合うのではなく、「正しいとは何か」を考えることが重要です。
それを話し合うのです。
僕が政治に興味を持てなかったのは、そんなことを言う人が今まで誰もいなかったからです。
正直、やっとまともな人に出会ったという感じさえします。
それくらい「考える」人は少ないのです。
しかも、大西さんは具体的な政策も既に持っています。
そして、この考える順番が肝心です。
考えること=哲学が先に来ないと、全く意味がないのです。
だけど、そんなことの分かる政治家は今まで誰もいませんでした。
みんな「自分が正しい」「誰かが間違っている」と言っています。
ただ、それだけです。
自分は正しさにおいて、とにかく特別なのです。
どれだけ良さげなことを言っていても、それではこのピラミッドの構造は変わりません。
違うピラミッドになるだけです。
それは、この世界が自由にならないということです。
考えることをしないと、僕らは奴隷のままなのです。
僕らが奴隷であるとはどういうことか、と思う方は、別の記事に書いていますのでそちらをご覧ください。
いやー、面白いことです。
大西さんは、こういうことが分かる人が増えていて、それは時代の流れであると言います。
僕も同感です。
でも、大西さんの感覚は、僕よりもその流れがずっと速いようです。
僕は、自分の生きている間に何かが変わるなんて全然思えないのです。
だけど、もしかしたら、そうじゃないかもしれないのです。
それが夢物語で終わらない可能性が既にあるのです。
僕は、はっきり言って、ぶったまげているのです。
さて、昨日までの話からすると、今日の話はずいぶんと現実的というか、時事ネタと言ってもいいくらいです。
前回までの抽象的な話から一変しております。
これが「考える」ことの先にあるものとも言えるかもしれません。
大西さんは「人類総悟り時代」とも言っています。
全員が覚醒しないといけない、と。
僕も同感です。
僕は覚醒とか悟りとかいう表現が好きじゃないので、そういう言葉は使いませんけども。
中途半端に言うと、余計な分断を生みそうな気がして。
誰かは悟っていてスゴイ、自分はそうじゃないからダメだ、とか。
そんな分断なんて、どこにもないんだということに気づくのが、覚醒で、悟りということなのです。
そして、それが「考える」ということです。
悟っているのは良いことですか?
それはなぜそう「思う」のでしょうか?
そして、そこにはどんな観念がありますか?
ぜひ「考えて」みてください。
この連載もこれで一旦終わります。
最後に少し具体的というか、現実の話ができたので良かったかなと思っていますが、いかがでしょうか?
どうしても抽象的な話が続いてしまうので。
考える先にどんな世界が待っているか、なぜ考えることが重要なのか。
そして、それはみんなに関係があることなのです。
ぜひ、それぞれで考えてみてください。

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