「田舎で米を作ったら死なない気がしてきた」という本の中でも書きましたが、僕は未来の社会をいま生きるということをしています。
ピラミッド型じゃない理想の社会があって、すでにその理想の社会に住んでいるかのように、未来を先取りして今を生きるのです。
こういうことは説明してもなかなか伝わりません。
みんなそれよりも重要だと信じていることがたくさんありますから。
だけど、たまに分かる人もいて、そんな人が少しずつ日本中で、いや多分世界中で増えています。
そんな未来人がある数に達したとき、100匹目の猿現象が起こると思っています。
今まで説明しても全然分からなかった人が、すんなりと分かるようになっていって、世界は本当に変わってしまうのです。
ちなみに、分かる・分からないは、偉い・偉くない、すごい・すごくないとかとは全然関係ありません。
先に分かるから良いことだとか、そういう考えは前時代の遺物です。
未来はそんなのじゃありません。
ところで、未来をいま生きるという感覚を、最近ちょっと忘れていました。
今、この文章を書きながら再確認しています。
ちょっと生き方が惰性になっていたみたいです。
多分、田んぼが忙しすぎるんですよ。
忙しすぎるのはなんとかしたいと思っています。
昨日も大西つねきさんのことを書きましたが、最近僕がやる気満々なのは大西さんの影響です。
未来の社会をいま生きるって、自分にできることをとにかくやるということなんです。
大西さんはそれをずっとしているように見えます。
動物や植物や微生物の世界を見てください。
みんな自分にできることだけを精一杯やって、世界は完璧に回っています。
そんなことを人間の生き方にも少し取り入れる感じでしょうか。
少しで良いのです。
人間の社会が完璧にならないのは、人間の持つ特殊能力のおかげですから。
動物たちと同じようには、もともとなれないのではないか、と思います。
毎日自分にできることをするのです。
でも、現代のこの社会は、それがとってもしにくいのです。
「そんなことばかりしていないで」と言われちゃうわけです。
だけど、そういう生き方が簡単にできるのが未来の社会と言っても良いでしょう。
そんな未来を今生きています。
それをしようとすると、かなりの工夫や労力が必要です。
針の穴を通すような感覚になることもあります。
そんなわけで、このブログにいつも書いているようなことが必要になってくると思うのです。
特に、哲学とプチビジネスはその両輪かなという感じがします。