劇場アニメの「ルックバック」というのを見たいなぁと思っていました。
少し前まで、劇場でやってるな〜って思ってたんですが、もうAmazonで配信されていました。
時が過ぎるのが早いですねぇ。
今日あたり見てみようかと思います。
その予告編を見て、ふと思うことがありました。
いつも書いていますが、才能のことです。
みんなたぶん、才能について誤解しているように思うのです。
その誤解とは、才能を生かしたら、社会の中で役に立って評価されるということです。
才能を生かすことと、それが社会で評価されることは、全く別だと思うのです。
例えば、大谷翔平選手がベースボールのない江戸時代に生まれていたらどうでしょうか。
きっと、彼の評価は今のようなものではなかったでしょう。
江戸時代に生まれていても、彼は何らかの才能を発揮したかもしれませんが、それは本当にみんなに評価されることでしょうか。
才能が周りに認められるかどうかは、実はただの運なのです。
だけど、周りに認められることが才能だと思っていないでしょうか。
それとこれとは関係がないのです。
「そんなことばかりしてないで勉強しなさい」とか「そんなことばかりしてないで仕事してください」とか言われて、何か役に立つことをしなければいけないと思ってしまうのです。
生まれる時代が違えば、才能とは「そんなこと」なのです。
なぜ、自由に才能を発揮させてもらえないのでしょうか。
なぜ、「そんなこと」なんて認識をされてしまうのでしょうか。
そこにはどんな観念が隠れているのでしょうか。
ぜひ考えてみてください。
人類の中に同じ人は一人もいないそうです。
たぶん誰も確かめたことはないでしょうが、きっとそうなんでしょう。
才能も一人として同じものを持っていません。
それは人類には多様性がある、ということです。
時代や環境が変わっても、その変化に適応して生き延びる人が必ずいるということです。
今まで才能を「そんなこと」と扱われて虐げられてきたような人も、時代が変われば評価が変わることもあります。
逆に、素晴らしい才能だとちやほやされていた人が、そうでもなくなることもあるでしょう。
時代の変化が少ない頃はそういうことも少なかったでしょうが、今は時代が激変しています。
人生の中で評価がガラッと変わってしまうこともあるでしょう。
ちなみに、パチンコとかギャンブルにハマる人って、現代ではあまり評価されません。
だけど、彼らは狩猟採集時代には村のエースだったはずです。
現代において、彼らの才能と特性を発揮する場面は皆無で、そのフラストレーションを簡単に解決できるのがギャンブルです。
彼らがそれにハマるのは当然なんです。
そのことについては、前に書いた記事をリンクしておきますので、興味があればどうぞ。