気づきとは面白いものです。
面白いというのも微妙な表現ですね。
面白くもある、という方が近いでしょうか。
気づきに意味をつけるのは自分であって、そのとき気づきは必ず過去のものになっています。
気づきの瞬間は「いま」ですから、それに意味をつける頃には既に過去のものということです。
いまという瞬間、気づきの最中に意味をつけることはできません。
本当の宇宙は気づきでできています。
この表現も微妙かもしれません。
宇宙は気づきと同じ成分でできている、が近いかもしれません。
宇宙という言葉が分かりにくければ、世界とか全てとか言い換えてもいいです。
そこには意味がありません。
意味が入り込む隙もなく、意味そのものが存在できないのです。
それは思考のない世界です。
宇宙に意味のラベルを貼るのは思考だからです。
なぜ思考が存在できるのかといえば、「自分」というものが存在すると信じているからです。
自分なんてものは、どう考えても存在できないのに、自分の体や心や頭を自分だと思い込んでいます。
自分だと思っているそれらが、意味をつけたがるのです。
何かを知覚したら、それが自分の敵か味方かを自動的に判断します。
それが意味のラベルです。
もともと宇宙に意味はありません。
すごいも偉いも、正しい・間違っているも、好き・嫌いも、大きい・小さいも、素晴らしい・しょぼいも、何もありません。
ただ、宇宙があるだけです。
同じように、気づきにも意味はありません。
僕たちは気づきに意味をつけますが、意味をつけられた気づきは既にただの情報であり、気づきではなくなっています。
それはただの過去です。
言葉や情報で気づきをシェアすることはできません。
というわけで、僕はこの文章で気づきについて語っているわけですが、これは気づきそのものではありません。
気づきは言葉にできないからです。
気づき以外のものしか、言葉にすることはできません。
真っ白な紙の真ん中に円を描きます。
その円の中に気づきがあるとします。
語った領域を黒く塗りつぶしてみましょう。
気づきを語ることはできませんから、黒く塗ることのできるのは、気づき以外の部分です。
円の外側の領域がどんどん黒くなっていきます。
気づきに近い話題から、全然関係なさそうな話、細かすぎてめんどくさい話まで、どんどん塗りつぶしていきます。
語って語って語りまくったら、紙は真っ黒になります。
ただし、最初に書いた円の内側だけは真っ白です。
気づきは語れないからです。
そうなった時、気づきだけが浮かび上がる可能性があります。
しかし、このやり方は冗長です。
なぜ冗長になるかといえば、僕の言葉を使うからです。
あなたの言葉で僕が語れば、少し短縮できるかもしれないのです。
だから、あなたの言葉は重要です。
今風に言えば、気づきも「タイパ良く」ということです。
気づきへのショートカットです。
僕が例のワークショップでやりたいのは、そういうことなんです。
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