瞑想しよう

哲学ワークショップの第1回を終えて、いろいろ思うところがまとまってきました。
目的のようなものは決めておいたほうが分かりやすいかなと思っています。
もともと「気づくためのワークショップ」ということなんですけどもね。
気づきに意味をつけるのは気づいた自分であって、要は人それぞれなので、本当はそれ以上の目的などいらないのです。
本当の自由に目的なんてありませんから。

ただ、それだとかなり分かりにくいので、もう少し現実的なゴールや目的を明言してもいいかと思っています。
全体としては薄まっちゃうんですけども、敷居は下がります。

ワークショップのもともとの目的は「考えるために気づく」ということなんですが、考えるのは何のためかということです。
とりあえず「自由に生きるため」としておきましょう。
ちなみに、これだと「みんな自由に生きていない」という前提になっちゃうので、僕としては本意ではありません。
最初の最初から、僕らは自由だからです。
不自由さえも、自身の自由であります。

いや、周りを見れば、あらゆるルールや常識やしがらみ、いろんなことに縛られています。
リアルな監獄に閉じ込められているわけではないものの、僕らは見えない監獄の中にいるようです。
しかし、本当の意味で言えば、その不自由すら自分で決めているということです。
それに気づく必要があるのです。

少し現実寄りの話をします。
どうも自分は自由に生きていないんじゃないか、もっと自由に生きたい、という人は多いでしょう。
そういうところを入り口にして、本当は自由も不自由もないんだよ、というところまで行けたらいいかなと思っています。

いつも言っていますが、気づきだとかそんなことを言葉にするのって、本当に難しいというか無理なんです。
ここ数日、そんなことばかり考えていたら、僕も混乱してきちゃいました。
言葉を使うには思考が必要で、思考に引っ張られちゃうんです。
かといって、思考が悪ということではありません。
すべては自分の中にあります。
だけど、思考に頼るとどうしても浅くなっちゃうという感じ。

やっぱり僕には瞑想が必要だな、と感じています。
最近、瞑想習慣を復活させようと思っています。
どこかで瞑想会も企画しましょうかね。
哲学ワークショップ、プチビジネス同好会、瞑想会という三本柱になるかもしれません。

さて、さっそく瞑想します。

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