年内に予定していた2回の哲学ワークショップが無事に終わりました。
来てくれた皆さんが、ワークショップ後にどんなことを思うのか、楽しみです。
特別な反応はないかもしれませんし、思いを馳せることが少し変化する可能性もあります。
ワークショップ内でも散々言った気がしますが、結局は「わからない」のですけども。
何がわからないかって、これをするからこうなる、といういわゆる因果関係、原因と結果ということです。
確かに、世の中のあらゆることにはそういう関係性があります。
だけど、気づきにだけはそんな因果は成立しません。
いつ、どんな時に気づきがあるかなんて、誰にも、本人にも全くわからないし、コントロールすることなんてできないのです。
ある人は、厳しい修行を経て気づきを得たといいます。
だけど、全員が全員、同じ修行によって同じ結果を得るわけではありません。
再現性があるような、ないような感じ。
確かに、気づきを得るためのオーソドックスで、普遍的な一般的なカリキュラムのようなものはあります。
だけど、それも百発百中というわけではありません。
結局、「わからない」のです。
結果に繋がるのかどうか、わからないようなことをやる意味はあるんだろうか、なんて思いが頭に浮かぶかもしれませんね。
さて、そんな思考の裏にある観念はどのようなものでしょうか。
ぜひ、思いを馳せてみてください。
人それぞれ、タイミングがあります。
無理する必要はありませんし、周りに無理をさせる必要もありません。
真実なんてものがこの世にあるとしても、それを強要することはできないのです。
映画「マトリックス」の中で、赤い薬か青い薬を選ぶシーンがあります。
だけど、誰も強要はしません。
すべては自分の意思です。
朝になって目覚めるのも、もう少し布団の中で夢を見るのも、どちらも自由なんです。
みんな目覚めたい時に目覚めるのです。
目覚まし時計とか、やかましいわ〜〜って感じじゃないですか。
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