いろんなことを考えていると、「良いこと」と「悪いこと」とは一体何なのか、という問題にぶつかります。
物事、それ自体に良いとか悪いとかの意味はなく、僕らが意味のラベルをわざわざ貼っているだけなのです。
それはいつも散々書いていますから、もう耳タコでしょうか。
より「良く」生きたい、という気持ちは誰にでもありそうな気がしますが、それについてはどうでしょうか。
良い人生と、それと比べて少し悪い人生があるのなら、良い人生のほうを選びたいという気持ちがある、ということです。
そういう気持ち、誰にでもありますよね。
だけど、最初の話に戻るなら、人生に良いも悪いもありません。
僕らが人生に良い悪いのラベルを貼っているだけです。
こういう人生が良いんだと、勝手にイメージを膨らませて、そのイメージに沿った人生になっているかをジャッジしているだけです。
そんなふうに言われると、なんだか寂しいような虚しいような、妙な気分になる人もいるかもしれません。
最近、「チ。」というアニメが放送されています。
天動説が信じられている世界で、地動説を信じる人たちの話です。
話の舞台はヨーロッパ風の架空の国で、キリスト教のような宗教によって支配されています。
そこでは、生き方も考え方も全てが決められていて、教会で習うこと以外のことを考えることすら許されません。
アニメを外から見ている僕たちには、そういう世界の仕組みや、人々がなぜそういう暮らしをしているのかがよくわかります。
だけど、登場人物たち、要はその渦中にいる人たちは、それに気づくことが難しいです。
小さい頃から教育され、周りもみんなそう思っていて、違うことを考えることさえできなくなっています。
現代にも、そういうことは多かれ少なかれあります。
思い込みは、思い込んでいるから思い込みと言うのであって、思い込みに気づくことは難しいのです。
そして、本当の問題は、思い込ませようとしている側ではなく、思い込んでいる側にあります。
体制や社会を批判し変えていくことも必要ですが、最後は一人ひとりの問題になります。
さて、何の話だったでしょうか。
より良い人生って何だっけ、という話でしたか。
もしかすると、「良い人生とはこういう人生のことだ」と誰かに決められているのかもしれませんね。
どう思いますか。
そういうことは何世紀か後の人なら、時代を振り返って一目瞭然にわかるかもしれません。
この時代の人たちは、こういう価値観を持って生きていたんだ、と。
だけど、現代を生きる僕たち、時代の渦中にいる人たちがそれに気づくことは難しいのです。
でも、少しずつ気づいていかないと未来になりません。
まぁ、未来はそのうちやってきますから、無理に気づく必要もないのです。
何の問題もありません。
いつか、どうしても気づくしかないようにできていますから。
でも、人生の短さがそれを待てないのです。
そうしたいと強く思ってしまうのです。
だから、こんな文章を毎日毎日書いているのです。
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