楽しいって何だっけ

この原稿を書いているのは、クリスマスの頃であります。
世間ではイベントが行われ、浮かれている人も多いんでしょう。
それもいいですね。
ただ、僕はあんまり興味がありません。

クリスマスを楽しむみんなのことを、クリスチャンでもないのに、とか言うつもりもなくて、そもそもイベントごとには大抵興味がありません。
言うなれば、盆も正月もあんまり興味がないのです。

まぁ一応、盆と正月くらいはそれらしいことはしますけれども。
最低限のポーズといいますか。
結局、〇〇でないといけない、というのは要らないなぁと思っちゃうのです。

盆や正月、クリスマスが要らないと言っているわけではなくて、それを必ずしなければならないという感覚がいらないんじゃないか、ということです。
それを自分で決めればいいだけじゃないか、と。
自分にとって必要なものは必要だし、不必要なものは不必要じゃないだろうか、と。

まぁ、でも楽しいことはしたらいいですね。
たまにイベントがあると楽しいということもあるでしょうし、子供たちもいつもと違う感じが好きかもしれません。
だけど、楽しいという感覚、何を楽しいと思うかも人それぞれでありまして…。
普通は〇〇を楽しいと思うでしょ、というみたいな押し付けはちょっと苦しいのです。

多くの人は、楽しいと感じることが似通っているみたいで、暗黙の了解のような「普通」があるんでしょう。
それもわからないではありません。
でも、僕はそれに興味を持てないのだから、これもまた仕方ありません。

僕はマイノリティーとしての自覚があります。
大多数の人から見れば、僕なんてちょっとめんどくさい人に映るでしょう。
だから、こんな山奥に引っ込んでいるのです。
めんどくさい人扱いされないように、自分を作るのもめんどくさいですからね。
普通の人に擬態したり、カメレオンみたいに色を変える、みたいなことは疲れます。

というわけで、イベントもそれなりに楽しんだりしますが、それなりですね。
非日常が思い出作りになる、という人もいるかもしれません。
それもあんまり興味ありません。
ふと思い出すのは、特別な非日常ではなくて、わりと日常の瞬間な気がします。

しかし、楽しい毎日がいいです。
楽しいことサイコーです。
だけど、これは僕の趣味みたいなものですが、僕は考えちゃうのです。
楽しいとは何か、と。

今まで散々楽しいと思うことをやってきて、ふと立ち止まるようなことはありませんか。
楽しいって何だっけ、と。
人生の終わりに、そんなことになったら嫌だなぁなんて思っちゃうのです。
楽しいこととは何か、先に考えておいた方がいいんじゃないか、と。

「〇〇だから楽しい」ということは結局あるんだろうか、なんて思うのですが、皆さんはどう思いますか。
ま、難しいことは置いといて、なんでも楽しめるのが一番お得かもしれませんね。

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