なまけ者のさとり方

昨日ちらっと書きましたが、『なまけ者のさとり方』という本があります。
僕の大好きな本の一つです。
初めて読んだのは15年ほど前でしょうか。
それ以来、何度も目を通して、ずっと手放さずに置いています。

派手さはありませんが、良い本だと思います。
初めて読んだ時は、正直内容はよくわかりませんでした。
だけど、年月を経る中で「ああ、そういう意味だったのか」と気づいてきます。
著者の追体験をするような感じもあります。
それで、昨日も本の一節をふと思い出したのです。

この本の筆者、タデウス・ゴラスには他の著書はありません。
筆者の情報をネットで探してもほとんど見つかりません。
出版関係の仕事をされていたようです。

筆者がこの本を書いたのは、同じことを何度も何度も説明しなくて済むように、そして、誰かが辛い気分になっているときに少しでも助けになるようにという理由だったそうです。
僕もずいぶんと助けられたんじゃないかと思います。
「大丈夫だよ」と言ってもらったんじゃないかという気がします。
そして、それは一旦わかってしまえば簡単なことです。

今、本を確認したら、1988年に初版が発行されていました。
日本で出たのがその年で、原著はもう少し前(1971~72年頃のようです)なんでしょう。
だけど、現代に読んでも全く違和感がありません。
気づく人が急速に増えてきました、なんて表現を前書きに見つけたりして、今と変わらないじゃんと思ったりします。

時代が変わっても、僕らはずっと似たようなことをしているわけです。
なんだか笑っちゃうというか、かわいいもんというか。
表面的にはいろんなことが変わっていきます。
でも、ずっと変わらないものがあります。
文明が起ころうが、人間が増えようが、問題が地球規模になろうが、どーんと変わらないものがあります。
それは僕らと常に一緒にいます。
「常に」です。

常に一緒にいるもの、それは歴史の中でいろんな表現をされてきました。
宇宙、神、空、ワンネス、精霊、愛、サムシング・グレート…。
個人的には「宇宙」というのがわかりやすいなと思いますけども。
目の前にありますからね、宇宙は。
目の前のスマホやパソコンや机や、そんなものを宇宙とは思えないかもしれませんが、宇宙の一部であることには間違いありません。

ただ、観察する立場によります。
見る視点とでもいいますか。
同じものを「宇宙」としても見れるし、「目の前の小さな現実」とも見れるわけです。
どちらも正解です。
眺める立ち位置が違うだけです。
木と森の関係です。

まぁ、そんなことはボチボチで良いのです。
気づいたからといって、何か変わるわけではありません。
目の前の問題が解決するわけでもないし、聖人君子にもならないし、スーパーマンにもなりません。
何も変わらないのです。
これまでもずっとそうだったし、これからもそうだって気づくだけです。

それでも、『なまけ者のさとり方』の著者が言うように、楽にはなるでしょう。
人生の辛い時期の助けにもなるかもしれません。
久しぶりに『なまけ者のさとり方』を読み返してみようと思います。

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