朝、目が覚めた瞬間にサイコー!と感じるのは、とても良いものです。
そんなとき、自分でもわかるくらいに顔が緩んでいます。
目覚めが良く、体に凝りもなく、全身が緩んでいるような感じで、緊張が溶けているというか。
朝から最高の気分というのは、今まであまりなかったのですが、ここ最近はそういう朝が増えています。
これがすごく良くて。
まさに、小学生の夏休みのようです。
今までも似たように感じたことはありましたが、どこか「おじさんの夏休み」という感じでした。
しかしなぜ、こんなに気持ちの良い目覚めになっているのでしょうか。
冬は大抵、気分が沈みがちになりますが、今年は比較的楽なんです。
いつもより暖かい冬だからかもしれませんし、毎日少しは体を動かしているおかげかもしれません。
あるいは、年齢を重ねた効果なのかも。
年を取って、小学生みたいな気分に戻るなんて、なんだか変な話ですけどもね。
「後天的天才」という話を聞いたことがあります。
先天的ではなく、後天的な天才。
そのための条件の一つが、「毎日、健康で快調であること」なのだそうです。
体のどこかに不調があると、どうしても視界がぼんやりして、思考がクリアになりません。
心身ともに軽い状態だからこそ、世界が見通しよくスッキリと感じられるような感覚。
やっぱり、体調は大事ですね。
「天才」というと、すごく特別な人をイメージするかもしれませんが、僕の考えではもっとハードルは低いです。
一人ひとりが持っている才能はさまざまですが、それを発揮するなら、それが「天才」なのだと思うんです。
だって、生まれたときから、誰しも何かしらの能力を授かっています。
それがどんなものであれ、発揮するだけ。
「天から授かった才能」だから、まさに「天才」です。
才能の質や量を問う必要なんて、ないと思うんです。
一般的に「天才」という言葉には、能力だけでなく「希少性」が含まれる気がします。
天才は数が少ないから価値がある、と。
確かに、そういう考え方もあります。
だけど、普通の才能だって、比べる意味がないような価値があります。
特別か特別じゃないかは関係ないのです。
自分にできることをやるだけです。
というか、そもそも「それしかできない」んですから。
毎日、ご機嫌でいられるような、いや、ご機嫌になっちゃうような体調。
小学生の頃なら、何も考えずに自然とそうなっていました。
でも、大人になると、それを維持するために工夫が必要になります。
そう「無病法」という本があります。
16世紀、ヨーロッパ中でベストセラーになった本で、「超少食でご機嫌な人生を送った人」の話です。
100歳過ぎまで元気に活躍して、理想の生き方と逝き方だな〜と思っています。
誰にとっても超少食がご機嫌な人生のカギかはわかりませんけども。
「自分の才能を発揮すること」と「ご機嫌でいること」は繋がっている感じがしますね。

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