いつも書く前に、前日の文章を読み返して推敲するのです。
それで、昨日の文章は、久しぶりに面白いと思いました。
あんな考えても仕方のないような、どこにも行かない無限ループなことを考えるのが、僕は好きなんです。
そこにこの世の根っこのようなものがあるような気がするからです。
その根っこからすべてを考え始められたら、この世の間違いはすごく少なくなるように思うのです。
僕が本当に興味があるのは、「人類のお役に立ちたい」ということです。
僕はずいぶんと壮大なことを思っていますね。
でも、一ミリで良いのです。
人類のお役に立ちたいのです。
他はわりとどうでもよくて、全体としていい感じなら、それでいいような気がするのです。
だから、間違えられないというか。
いや、間違えたって僕に影響力があるわけじゃないですから、大した問題はないでしょう。
せいぜい、あの人、ちょっと変なことをいってるね、と思われる程度でしょう。
まぁ、そんな大それたことを考えてしまうのが、僕に与えられた才能の一つのようです。
自分をずっと観察していたら、だんだんとそんなふうに見えてきました。
多分、僕みたいなタイプは、社会でうまくやっていけない人が多いんじゃないかとも思います。
実際、僕はサラリーマンができません。
決まったバイトもできません。
たまにならいいんだけど、という感じです。
常に、その意味を考えてしまうのです。
それをやる意味、みたいなことです。
たいていの仕事は、それに意味を見出せず、退屈になります。
その退屈から受けるダメージが大きいのです。
だから、それをする意味を全部先回りして考えて、ぐるっと一周、完璧に理屈の通ることじゃないと体が動かないのです。
不便な体ですが、最近は少しずつ世の役に立てつつある気がして、嬉しく思っています。
それはまさに、この時代に生まれたおかげです。
百年前でも、千年前でも、一万年前でもダメでした。
不完全燃焼にしか生きられなかったでしょう。
長いこと生き方を模索しています。
それは自分のパーソナリティーと時代のすり合わせです。
ようやく落としどころが見えてきた気がしています。
自分を眺めて、眺めて、観察し続けたとき、面白いのは他者のことも見えてくることです。
世の中には、本当に多種多様な皆さんがいらっしゃいます。
自分のことが見えてくると、同時に、人類の多様性の素晴らしさも見えてきます。
人類の多様性は、やっぱり、才能を組み合わせたジグソーパズルに見えます。
いつもいつも書いてますけども。
誰かにできることが、他の誰かにはできないことで、人類全体として俯瞰すれば、ジグソーパズルのような世界を作っているのです。
直感的にそう思っていましたが、最近はさらに確信を増しているように感じます。
だから、自身の才能に気づくことが重要だと感じます。
それさえできたなら、特別なことはなくても、勝手に自動的に、人類の役に立っているということです。
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