お役に立ちたい

誰かのお役に立ちたいと思っています。
ここでいう誰かとは、特定の誰かのことではありません。
不特定の誰か、大きくいえば人類全体、もっと大きくいえば、種や命を超えて宇宙です。
それはもう生き物じゃなくなっちゃってますよ、と思うかもしれませんけども。

自分というパーソナリティーについて、よく考えています。
自分の持っている能力について。
なぜだかよく分からないけど、自分にできることについてです。

僕は、ぐるりと一周、全体像が見えないと動けないタイプです。
常に意味を求めてしまうというか。
表面上の指示だけで仕事をしないといけない状況はつらいです。
そのうち体が動かなくなります。

例えば、会社全体の中でどういう流れがあるのか。
会社自体はどこに向かいたいのか。
社会の中での意味とは何か。
そういうことです。

適当にアルバイトに行って、そんなことが分かるわけもありませんから、当然続きません。
不便な体であります。
不便な体なんですが、逆にいえば、そういうことを考えられるということです。
多分、普通はそんなことを考えないのでしょう。
でも、僕は考えちゃうのです。
社会に適合するなら、どこかで考えることをやめないといけないのかもしれませんけども。
しかし、社会に適合するのはとっくに諦めていますから、楽なもんです。

世の中のほとんどのことに興味はありません。
ニュースも見ますけども、自分の思っている未来に近づいているかを確認しているという感じかもしれません。

全体像に興味があります。
そのために僕ができることは、毎日生活することです。
急に小さい話になりましたね。
自分の興味の赴くままに生活する、生きていくのです。
それだけで、勝手に世のお役に立ちます。
そういうふうにできていますから、心配ありません。

まあ、今の世の中には、いろんなしがらみやルールや常識がありますから、その辺はバランスをとって。
僕も一応大人なので、年の功という必殺技を使いながらです。

木を見て森も見るとでもいいましょうか。
器用に両方見えたりするのです。
どちらも、実は同じものを見ていますから。
見え方は全然違いますけども。

実は、誰しもが同じものを見ていたりもします。
ただ、自分の中にあるストーリーや前提条件が違うから、それぞれに違う世界を見ているように感じるだけです。

またまた、いつもの観念の話になりました。
この世界は、自分の観念を映す鏡であります。
意見が合わなかったり、対立したり、喧嘩したりするのも、観念と観念が衝突しているだけ。
みんな、自分の観念が可愛くてしょうがなくて、見せ合いっこしているのです。

さて、何の話でしたか。
いつも通り遠くへ来てしまって、今日もお開きです。

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2階からの景色。全部丸っこくなっちゃって。
よく降りました。
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