ヘタウマでなんでもやる

「ヘタウマ」って言葉があります。
ご存知でしょうか?
たぶん、音楽用語かな?
僕はギターを弾くんですが、音楽界隈でよく使われる言葉です。
例えば、楽器の演奏が技術的には下手なのになんか良い感じに聴かせる、というニュアンスです。
ロックなんかでよく言われます。
クラシックは技術があるのが前提条件、みたいな雰囲気が強いので、あんまり言いません。

僕はヘタウマって結構好きなんです。
味わい深いというか。
技術的にすごい演奏もいいんですが、プロがたまに間違えたりミストーンを出したりしたら、かわいいじゃないですか。
素晴らしいプロの演奏もいいし、結婚式の余興の友達の下手な演奏もいいじゃないですか。
どっちもいいですよ。
もしかすると、3ヶ月くらい必死こいて練習してくれた友達の演奏の方が印象に残るかもしれません。

本当にどっちもいいと思うんです。
ヘタウマ感を追求する人、技術を追求する人、バランスを取る人、何も考えない人、いろいろあるのがいいんじゃないでしょうか。
自分のできるようにしかできない、とも言えるかもしれません。

何をするにもそうだと思うんです。
上手なのも価値があるし、下手なのも価値があるんです。
下手なのはいけないことだと、僕らはついつい思ってしまうわけですが、そうでもないのです。
結婚式の余興、友達の下手な演奏をぜひ思い出してください。
僕、ああいう演奏はぐっとくるというか、好きなんですよね。
そういう時に、うまいプレイヤーなんて出る幕がないのです。

こういうことは、文章を書くときなんかも同じだと思います。
下手だからダメだなんてことは全然ありません。
心のままにすれば良いのです。
まぁ、誰かに読んでもらうのを前提にするのなら、少しは伝わりやすくするとか、そういうことは勝手にするでしょう。
結婚式の余興だって、未経験から3ヶ月くらい練習するでしょう。
下手だから良いというわけでもないからです。

文章には多分、大きく分けて2種類のものがあります。
事実を伝えるものと、相手の心を動かすものです。
例えば、法律の文章とか企業の広報の文章とかは前者でしょう。
小説みたいなものは後者に寄りますが、物語を正確に描写するという意味では前者を含みます。
詩は後者かもしれません。
文章って、その2つのバランスだったりします。

あ、何の話でしたか?
何でもチャレンジしたらいいと思うのです。
うまい、ヘタは関係あるような、ないような。
上手くなりたかったら練習したらいいし、上手くなることにあまり興味がないのなら、練習する必要はそんなにないでしょう。
上手くても下手でも、良いものは良いです。
ただし、上手いから良いわけではないし、下手だから良いわけでもありません。

まぁ、結局自分のできるようにしかできませんから。
僕らは、最初の最初から心のままに生きていたりするのです。

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