今日は、書くことの重要性について、です。
何でもできる時代です。
今までも実はそうだったのですが、これからは誰もがそれを実感し、気づかざるを得ない時代になります。
あれをしたい、これをしたい——夢や欲求が、どんどん簡単に叶うようになるのです。
それは、とても満たされる時代になるでしょう。
だけど、同時に、漠然とした不安を抱えたり、どれだけ夢を叶えても満たされない「何か」を感じる時代にもなるでしょう。
ふと思い出すのは、ブッダと呼ばれる人物のことです。
ゴータマ・シッダールタという人。
彼は王子として、何一つ不自由なく育ちました。
当時、考えうる限りのあらゆるものを手に入れることができたのです。
それでも、彼はどこか満たされなかった。
そして、妻も子も地位も捨てて、旅に出ました。
これ、どこか現代人と似ている感じがしませんか?
思い返せば、今までも、僕たちはすごく豊かでした。
プライドや見栄、常識に邪魔されなければ、生きることはすでに難しいことではありません。
もう、ほとんどの人が飢え死にすることはありません。
かつて日本人の8割は百姓でしたが、今では1%です。
みんな自由になっているのです。
これから、さらに自由が加速します。
あまりの自由に、さすがに気づく人は増えます。
何に気づくのか?
それは「すべては自分が決めていた」ということです。
この世界は、自分が決めていたのです。
「もう自由に生きていいんだ」
そう気づいたとき、同時にわかるでしょう。
今までも、ずっとそうだったこと。
自由に生きなかったのも、自分がそう決めていただけ。
プライドや常識にとらわれることを「自分で選んでいた」だけだったのです。
では、自分の人生や生き方に自覚的になったとき(自由に生きるのも不自由に生きるのもどちらも自由です)、何が必要になるでしょうか?
自分の生まれた意味を、この人生で表現したいと思ったとき、何をすればいいのでしょうか。
僕がひとつ、おすすめしたいのは 「書く」 ということです。
なぜなら、自分の頭や心の中にあるものを、一度取り出す必要があるからです。
いつも、自分の中のどこかで思っていることがあるんです。
だけど、それは目の前の現実や忙しさに埋もれて、表に出てきません。
はっきりとした形をしていません。
まず、それを認識して、そして、形にする。
それらを同時にできるのが、「書く」という行為です。
日記でもいいし、ブログでもいい。
誰かに見せても見せなくてもいい。
文章の上手い下手も関係ありません。
とにかく、自分の内側を覗き込み、そこにあるモヤのようなものを、どうにか言葉で形にしてみてください。
慣れないうちは大変かもしれませんが、その練習をぜひやってみてください。