自由すぎて迷子になる話

毎日書き続けると、少しずつ変わっていきます。
頭の中が整理されて、見通しが良くなっていきます。
自分自身を、よりクリアに見られるようになります。
書くことは、内観と具現化を同時に行うことができる、すごい技なんです。

今、SNSをしている人が多いですから、日常的に文章を書く人は多いようです。
でも、そういう効果を実感している人は少ないでしょう。
それは、おそらく、SNSにあげる文章は、他人のために書くようになってしまうからでしょう。

自分を内観することが目的なら、文章を書くことは手段です。
SNSに投稿する目的は何でしょうか。
立ち止まって、一度考えてみてもいいかもしれません。

他人のためではなくて、自分のために書くならば、それは、自分で決める土台になります。
自由に生きるための土台です。
今から、あまりにも自由な時代になります。
ただ、多くの人は、その自由を享受できません。

ずっとレールの上を生きてきたからです。
それが悪いわけではありません。
でも、レールのない、あまりに自由な場所に立ったとき、どう感じるでしょうか?
それは自由に対する喜びでしょうか、それとも、そこ知れない恐怖でしょうか。

多くの人は、レールの敷かれた元の世界へ戻っていきます。
自分で決めたことがないなら、自由に生きることをすぐにはできません。
初めて挑戦したことを、すぐに上手にできたことはありますか?
やったことのないことは、すぐにはできないのです。

だから、時代がいくら自由になったところで、その自由を享受できません。
今まで通り、誰か——自分でない他人に決めてほしいと思うでしょう。
自分がどう生きるべきか、どう考えるべきか、何を選択するべきかを、外部に決めてほしいと思うでしょう。
外部とは、他人、常識、社会、普通、ルール、正義感、倫理観…などのことです。

管理された世界を望む人が一定数います。
それは、管理する人とされる人がいる世界です。
そんな人たちがたくさんいる世界、それがピラミッド型のこの世界です。
今、この世界がピラミッド型をしていること、それ自体が、自分で決められない人が多くいることの証拠です。
それは、今までずっとそうでした。
今からもそうです。

自分と、社会や他人や普通は、まったくの別物なんだと、はっきりと気づいた人は、ピラミッドの社会から抜け始めます。
ピラミッドの世界自体は残ります。
それを望む人がいるからです。
それも悪くはありません。
だけど、自分とそれは関係ないと気づいた人にとっては、それはもう、やはり自分と関係のないものなのです。

それが、自分で決める、ということです。
みんなすでに、毎日、いろんなことを自分で決めていると思っているはずです。
人生を自分で決めている、と。
だけど、いつも書いている「観念」ということが、はっきりわかれば、自分で決めていなかったということがわかるはずです。

だから、書くことや内観が重要だと思うわけですが、いかがでしょうか。
もし興味があれば、ぜひお試しください!

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