個と全体の2つの視点・現実と宇宙

気づきというのは、100%言葉にはできません。
言葉にできないものは、共有することができません。
つまり、伝えられないということです。

僕が何かに気づいて、そのことを誰かに伝えたとしても、それはただの「情報」であって、「気づき」ではありません。
情報が気づきにつながるきっかけになる可能性はあります。
まぁ、とっても低いですけども。

話を聞くだけでホイホイ気づいていたら、人類は今ごろ戦争なんてしていません。
ピラミッド型の社会など、とっくの昔に消えているでしょう。

なかなか伝わることがないとわかってはいます。
だけど、やっぱり、もう気づきが必要だと感じて、どうにかできないかと思ってしまいます。
というか、有史以来いちばん「気づきやすい」時代になっていますから。
今からそれは、さらに加速していきます。

もう、気づいちゃっていいんです。
そういうことに興味を持つ人も、ずいぶんと増えました。

気づきを言葉にできないのには、理由があります。
言葉で説明すると、必ず矛盾してしまうからです。
気づきは、すべてを含んでいます。
表も裏も、高いも低いも、幸も不幸も、良いも悪いも。
すべてを同時に含みます。

だから、言葉で説明しようとすると、意味不明になります。
支離滅裂なことを言う、わけのわからない人という感じになります。

2つの視点を行き来する必要があるんです。
木を見て森も見る、という感じでしょうか。
具体と抽象と言っても良いし、ミクロとマクロ、個と全体、色と空……いろんな言い方ができます。

ここでは、「現実」と「宇宙」と表現してみます。

現実の世界では、「自分」というものが存在しています。
あなたも、感じているはずです。
「自分」というものがあると。
「自分」という意識を持っていると。
その世界では、自分と他人がいて、自他の区別があります。

だけど、自分と他人を分ける境界線は、どこにもありません。
よくよく観察してみてください。
自分がここに存在するという証拠は、ひとつもありません。
「自分」が存在しないのが、宇宙の視点です。

「自分という存在がない」と言われると、寂しい感じがしますか?
それが現実の世界です。
宇宙視点だと、「寂しい」という感情に善悪はなく、それはポジティブでもネガティブでもありません。

それは、宇宙と比べて僕らがあまりにもちっぽけで取るに足らない、という意味ではありません。
そういう“物差し”が、そもそも存在しないという話です。

宇宙視点では、「善」も「悪」も同時に存在するのです。
善であり、同時に悪でもある、ということです。
「存在するのです」という言い方も、正しくなくて、非常に現実的な言い方になっています。
宇宙的視点では、「存在する」と「存在しない」が同時にあります。
“ある”も“ない”も、同時にあってしまうのです。

いや、「ある」と言うと「ない」を表現できないし、「ない」と言えば、ないことが「ある」ようになってしまう。
それは、言葉で表現できないのです。

なんというか、アホな話に聞こえるかもしれませんね。
こんなわけのわからない説明に、意味があるのかないのか。
それでも、書いてしまうんでした。

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