僕は普段は割と黙っている方です。多分。
そうでもないですか?
自分ではよくわかりませんけども。
少なくとも、このブログに書いているような、昨日も書いたような意味不明な事は、基本的には話しません。
なかなか伝わりませんから。
みんな——僕もそうですが、現実の世界に住んでいますからね。
そうでない世界があるなんて、考えたこともないのです。
それは、なにか神秘的な話ではありません。
言うなれば、この世界にはもともと二つの世界が同時に存在しています。
それを、天国と地獄と表現する人もいるでしょう。
ただし、天国と地獄と言ったときのイメージとは、少し(かなり?)違う意味を持っています。
僕は——この文章は、天国と地獄を行ったり来たりしています。
マクロとミクロと言いましょうか。
昨日は、宇宙と現実と表現しました。
観念のある世界と、ない世界。
自分が存在する世界と、しない世界。
ジョン・レノンは「イマジン」という曲で、国境なんてないと歌いました。
境界線なんて、どこにもないのです。
いつも通り大きな話になりそうなので、今日は小さくいきましょう。
僕はたまに、突拍子もないことを言うのです、たぶん。
それは、相手に「そんなこと、考えたこともなかった」と言われるようなことです。
この「考えたこともなかった」って、面白いな〜と思うのです。
だって、考えたこともないのに、みんなそう「思って」いるのです。
無意識に、いつも毎回、同じことをしていること、たくさんあります。
同じことをしていて、同じことを考えている——同じ反応をしている、ということです。
そういうことを「何でやってるんですか?」と聞くと、みんな止まっちゃうわけです。
「そんなこと、考えたこともなかった」と。
考えたこともなかったのに、それはそういうものだと「思って」いるわけです。
だけど、考えたことはなかったんです。
疑わずに信じてきたということです。
疑わずに信じることは、盲信と呼んでもいいでしょう。
僕ら人間の社会は、盲信でできています。
『サピエンス全史』のハラリさんの言う「認知革命」ってやつです。
社会的にその能力が発揮されて、今の豊かな社会に発展したわけですが、その大元が、一人ひとりの「考えたこともないのにそう思ってること」というわけです。
それは、こうあるべき、こうするべき、善悪の基準、普通、常識、思い込み、こだわり…、いろんな言葉で表現できます。
僕はそういうことを総称して、観念と呼んでいます。
観念が悪いわけではありません。
観念が悪いように思えるなら、それのことを観念と呼んでいるわけです。
もしも、この観念をどんどん増やしていったらどうなるでしょうか。
そのうちに、爆発するように観念のない世界を見ることになります。
それは修行と同じことです。
肉体でも頭でも負荷をかけ続けると、その反動で逆の方にビョーンと行っちゃう時があるんです。
宇宙を垣間見せてくれると表現する人もいます。
ま、常套手段は、観念に気づいて、一つずつ手放していくことです。
要は、断捨離ですね。
断捨離については、たまに書いてますので、そちらでどうぞ。
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