先日、大西つねきさんの座談会に行ってきました。
近くに来たときには、いつも参加してるんです。
僕は大西さんのファンなのであります。
大西さんの何がいいって、好きなことをしているということです。
大西さんは、大西さんの好きなことをしているんです。
それがたまらないのであります。
好きなことをしていると言えば、僕もそうです。
ま、嫌なことはできない、というか。
そんな感じの生き方でいいや、なんて思うようになって、もう15年ほどになります。
自分の性質に抵抗することをやめたというか。
まともに、普通に生きることを諦めたというか。
世の中や他人、そんな自分の外側の言うことを聞かなくてもいいか、と思ったわけです。
もちろん、世の中とのバランスは取ります。
だけど、そのバランス具合も変わっていきます。
去年の夏、大西さんの座談会に初めて参加して、大西さんの本を読んでから、僕の生き方のバランスはぐっと変化しました。
常識や普通の側から、自分の好きなことの側へ傾いた感じです。
外側に気を遣っていたのを、内側にバランスを移動したというか。
それからは、前にも増して好きなことをするようになりました。
今までもそうだったんですけども。
これはなかなか楽しい日々です。
そういうタイミングだったんでしょう。
何事も、必要で起きているんでしょう。
好きなことをしている人が、世の中でどんどん増えています。
「もう好きにしていいんだ」って気づいた人たちです。
それができる時代を、僕らはすでに生きているんだと。
生き方を決めていたのは、全部自分だったと。
そんな人が増えています。
そういう人を見ると、嬉しくなっちゃうのです。
そして、そんな人がどこかにいると知るだけで、充分です。
同じような人と集まろうとか、友達になろうとか、それもいいんですけど、特に思いません。
それも楽しいかもしれませんが、そんなことをしても意味がないですから。
それぞれが自分の好きなことをしているだけであって、誰かと徒党を組んで好きなことをするわけではないのです。
結局、一人なんです。
だけど、それは孤独ではありません。
世界の中での自分の役割がなんとなく見えているなら、それをするだけです。
それをすることで、人類の役に立っているという感覚があれば、他に必要なものは特にありません。
そこに幸せも、承認も必要ないのです。
それは、川に落ちた一枚の葉っぱのようです。
落ち葉は流れに揺られて、ただ流されていきます。
ただ、それだけ。
それだけで、落ち葉は落ち葉の役割を全うしています。
まぁ、格好つけて言えば、そんな感じでしょうか。
人間なので、そう思えない時もありますけども、ボチボチやっております。
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