天国と地獄のあいだ

今日は昨日の続きで、天国と地獄の話を書くつもりだったのですが…。
なかなか難しいですね。
しかも、何日か空いちゃって。
書きたかったことはわかるんだけど、思い出せないというか、イメージできないというか。

最近、朝の時間をサボってたんですよね。
やっぱり毎日書くほうがいいと思いつつ、朝に目が覚めたら、書くことを飛ばして生活したくなっちゃうのです。
生活が楽しいというか、布団から出たくなるというか。
それはいいことだなぁと思って、書くのは後回しにしていました。

別に書かなくたって生きていけますしね。
〇〇でないといけないというのは、究極的には一つもないわけで。
と、言い訳めいた書き方をしています。
生活スタイルを模索しているというか、今、いろいろと考えています。

昨日書くつもりだった、天国と地獄のこともちょっと書いてみます。
天国とは、観念の全くない世界。
地獄とは、観念でできたこの目の前の世界。
と、表現してもいいんじゃないか、ということです。
ただし、観念の全くない世界って基本的にはありませんので、この世は地獄ともいえます。

まぁ、そう言っちゃうと微妙ですね。
「僕らが生きているのは地獄です」なんて言われても、言葉が強烈すぎて全然受け入れられません。
だけど、天国と地獄という二つの言葉を使うなら、そうなっちゃう、というだけの話です。

人生は四苦八苦、ということです。
そもそも生きてるってことは苦しみなんだよ、と。
仏教にもそう書いてあるらしいですね。

生きているということ自体が、観念の上にある状態ですから、人生は観念なしには存在できません。
観念でできた世界、観念を通して眺める世界のことを地獄と呼んでも良いのでは、という話なんです。

言葉の表面のイメージだけでは意味不明だし、この世をわざわざ地獄と呼ぶ必要なんてないでしょう、と反発される方も多いでしょう。
わざわざネガティブに言う必要はない、ますます悪いことを引き寄せてしまうのでは、と。

ネガティブは、やっぱり悪でしょうか?
〇〇は善で、××は悪であると判断するところの、判断の基準・物差しを観念と呼んでいるわけです。
それを持って世の中を眺めるならば、この世は地獄と言っても良いでしょう。
いや、やっぱり「地獄」という言葉のイメージが強烈すぎて伝わりにくいですね。

「地獄」という言葉を、ただ「天国」という言葉の対比として使っています。
言葉のイメージと切り離して考えていただきたいのです。

そして、天国と地獄は同時に存在するということ。
別のものではなくて、一つのものであるということ。
ただ、それをどう捉えるかという話。

まぁ、また明日にしましょう。
何日かぶりに書いたら、やっぱり面白かったので、またぼちぼち書きたいと思います。
たまに読んでくださいませ。

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