俯瞰で生きる、自分で決める

結局、自分で決めるということが重要です。
何でもかんでも自分で決めなきゃいけないと思うと、疲れちゃうかもしれませんけども。

僕に「自分で決めなさい」と言われてその通りに従ったとします。
初めは頑張って自分で決めてみるでしょう。
だけど、そのうちに、あれもこれも自分で決めないといけないなんて無理!ってなります。
だって「自分で決める」と自分で決めていませんから。
僕に言われて、そうしただけで。
そら〜疲れますよ。

自分で決めているようで、結構決めていないのです。
この例で言うと、「自分で決める」ということを自分で決めずに、他人(=僕)に委ねていたということ。
僕に決めてもらっていたわけです。

他人の意見を参考にするな、という話ではありません。
他人の言うことを聞くのか聞かないのか、自分で決めたほうがいいんじゃないか、ということです。
まぁ、先の例だと、他人の言うことを信じるということを無意識に決めているわけです。

ちなみに、ある誰かの言うことは無条件に正しいから信じます、というのは宗教です。
僕はいつも宗教じみたことを書いていますが、宗教や宗教団体は今の話の観点から言えば全く必要ありません。
僕が必要だと思って書いているのは「宗教性」ということです。
それは宗教の本質です。
ただ、宗教や宗教団体に本質を求めても無駄です。
それはまた、そのうちに書きましょう。

テレビで偉い人が話していて、それを信じちゃうのも同じですね。
SNSでインフルエンサーが発信していたから正しいと思うのも同じ。
このブログを読んで意味がわからないけど、それが正しいんだと思うなら、それも同じです。

案外思ったよりも、自分で決めていないのです。
これ、気づいちゃったら、びっくりしますよ。
ずっと自分で決めてきたと思っていたのです。
いや、そんなこと、考えたこともなかったみたいな。

重要なのは、自覚的・意識的であることです。
実際には、すべてを自分で決めることは不可能だし、わからない問題に自分で結論を出すのはやっぱり難しいです。
それは誰かに任せるしかないです。
だけども、それに意識的であることです。

なんでも鵜呑みにしないと言いますか。
常に俯瞰したように自分を見るというか。
それは生活が瞑想的であるという感じ。
目の前の視点と、自分を上から見ているような視点の2つを同時に持つような感覚。
いつもいつもは無理ですが、たまに思い出してみてください。

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