自分で決めてたことに今日もびっくりする

僕はストイックそうに見えるかもしれませんが、案外ゆるいです。
最近、朝イチで文章を書かない日も多いんですが、そんな感じ。
優先することが変わることはよくあります。
必ずしも自分で決めたルールだけに縛られる必要はないわけで。
臨機応変で良いですよね。

今はマイルールよりも、したいことがあって、それを優先しています。
まぁ、自由です。
好きにしたらいいです。
ただ、時代によって求められる人物像ってありますね。
「こういう人が優秀とされる」みたいな。
一般的には、そういう人物像に自分を寄せたくなるんでしょう。

「こういう人がすごい、偉い」「こういう人であるべき」と、どこかで思っていたりします。
それが、いわゆる、普通です。
ビジネスパーソンならビジネスパーソンなりの理想の人物像があるだろうし、主婦なら主婦で、また思うところがあるでしょう。

自分の理想の人物像に近づくのもいいし、ちょっと立ち止まるのもいいですね。
いやぁー、その前に自分がどんな理想像を持っているかを精査するのも面白いかもしれません。
そういうのって、案外知らず知らずに埋め込まれていたりしますから。
しかも、無自覚だったりするのです。

そんなことを思っていると、人生って、なんだか自作自演な感じがしてきませんか。
自分で決めて、自分ではまってるというか。
実は全部自分で決めたことだった。
はじめの初めから、完全に自由なんだけども、自分を縛るマイルールを設定して、不自由な世界を作り上げているのです。
これ、不自由にするという自由です。
「不自由にするのも僕の勝手でしょう」ってこと。
そう自分で決めているわけです。

この世界は全部自分で決めています。
いつも書いていますが、この世界は観念でできています。
その事実にはっきりと気づいたとき、びっくりしますよ。
笑っちゃうかもしれません。
全部——全部というのは、本当に全部ですが——自分で決めてたんです。

あぁ、びっくりします。
書いてるだけでびっくりです。
今まで散々うまいこといったり、いかなかったり、いろいろありました。
その「うまいこと」って何よって話です。
「うまいこと」の内容は、自分で決めているわけです。
何をもって「うまいこと」というかは、人それぞれですよね。
それを自分で決めてるわけで、そういうのを自作自演っていうわけです。

まぁ、いつも同じことを書いています。
飽きませんか?って言われそうです。
でも、僕はこれが面白いなぁって思うんです。
自分の面白いなぁってことを、毎日——毎日じゃなくてもいいけど、書くだけです。

そういえば、今日は書かないでおこうと思ったんだけど、結局書きましたね。
えらいえらい。
あれ、えらいって何でしたっけ?
僕にとっては、毎日ストイックに書き続けるマイルールを守ることが「えらい」なわけです。
なんとなく、「えらい」という言葉を使った僕の文章から滲み出るものがあるような気がしませんか。

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